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26次 江谷チームからの活動報告<その4>

【6月10日(4日目)】

最終日である。あっという間に時が過ぎた感じだ。

この日(金曜日)の渋滞は今までの中で最もすごい。
高速道路(いつもは石巻河南で降りる)が動かないので矢本ICで降りて、一般道路で湊小学校を目指す。
ナビの言うことは無視して、江谷先生が地図を見てアドバイスをくれる。辺りが田んぼだった所を走行する。

今頃は田植えの時期のはずなのに、広大な田んぼには瓦礫・船舶・車などが散乱している。
見渡す限り津波の被害を間近に見て、再び鳥肌が立った。
順調に小学校に向け走行していたのだが、途中通行止め場所があり迂回せざるを得なくなる。
昨日、調査をした日本製紙石巻工場のそばを通り、海沿いを走って、
それでも何とか診察には余裕のある時間に到着する。

どこを走ったのかよくわからなかったが、江谷先生に「昨日、この道を逆向きに走ったでしょ」と言われた。

午前の診察、岡山チームは11人である。咳・痰等の患者さんの他にボランティア中に怪我をされた方も来られる。
顎を怪我された方や釘を踏み抜いたかたである。
傷を縫合したり傷を広げて洗ったりして帰られた。
ボランティアの方もやるべき事が多くてがんばっているとは思うが、焦らずに安全に行って欲しいと思う。
自分の専門外の事を行うことは難しいのだろうなと思う。

午後の診察は、鹿児島チームは巡回なので岡山チームだけで6人(15時まで)の診察であった。

午後の方は、震災で海水が耳に入り聞こえが悪くなったという方が2名来られる。
江谷先生が診察し、皆さん異常はないとのことで安心された様子。
その中の1人が「先生に大丈夫と言われるだけで安心する。」と言われていた。
医師はすごいなとつくづく感じた。私も、そのお手伝いが少しでもできたから、良かったと思う。
江谷先生を水戸黄門と例えたら、難波先生と久常さんは助さん・格さんで
私はうっかり八兵衛の役どころではなかろうか。

15時を過ぎ、後続の尾上チームの方々が来られる。
皆さんパワフルな方々で、しかも2回目ということで、
ほとんど申し送りもなく(5分で終了)安心して湊小学校を去る。
今まで小学校まで通った道路を通り、仙台駅へ向う。
帰りの道中、終わったという安堵感と慣れた頃に終わるので残念な気持ち、
もっと何かできたのではないかという気持ち、様々な気持ちが駆けめぐる。

24時、無事に岡山駅に着き、26次チームの活動終了となる。

診察時に、何人かの被災者の方と会話させていただいた。
私が会話させていただいた方は、前向きな方が多かったので少し安心した。

だが、「震災で何もかもなくなってしまった。」「亡くなった方のことを考えてしまう。」等、
震災で失ったものが大きすぎ、心に大きな傷を持っている人もいた。

JMAT活動後、本当は私から見たら前向きに見えた方達も心に大きな傷を抱えながらがんばっているのだろうと思う。
被災地の復興を切に願う。

最後に、岡山県医師会の方々、江谷先生、難波先生、久常さん、そして職場のみんなに感謝します。
なにか少しでも役に立ちたいと思い、JMATおかやまに参加させていただいたのですが、
私のほうが貴重な経験、勉強をさせてもらったと思います。
今後この経験を活かしていけるよう頑張りたいと思います。本当にありがとうございました。

                        国立療養所 長島愛生園 河岡志郎


河岡さんは他のチームにはいない癒し系のキャラクターでみなさんを和ませていました。
どうしても暗い気持になる時があるので、こういう場所では大切な役目です。
救護所で日赤のドクターに「やかましい」と怒られていたのには爆笑でした(江谷)





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26次 江谷チームからの活動報告<その3>

【6月9日(3日目)】 
朝、予想以上に高速道路が渋滞する。なかなか進まない。
以前よりも渋滞が激しくなっているとのこと。

湊小学校に到着し、エリアミーティング。今日の午前中は日赤宮崎チームと鹿児島チームとで引継ぎがある。
いつもより診察室(家庭科室)がせまく感じる。

午前の診察は、前日の経験を活かして落ち着いて対応できる。
岡山チームは外科系でトリアージしてくださいと江谷先生が提案した(鹿児島が内科)だが、
診察する患者さんは咳症状の方が多いようで、
日赤の看護師さんは岡山チームの受診を患者さんに勧めてくれていた。

午後、岡山チームは巡回である。
その前に昼食をとり、日和山の日和山公園に登り石巻の景色を眺める。
初日みたいに鳥肌が立つことはなかった。
遠くから見る景色なのでテレビで見るように感じたのか、現実感がわかなかったからである。
日和山から中瀬という島を眺めると石ノ森漫画館以外は何もない景色である。
震災前は様々な建物があったはずである。やはり現実感がわかない。
(震災直後は、瓦礫・倒壊した建物があったかもしれないが、撤去されたかもしれない。)

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午後の巡回所の隣にプールがある。瓦礫・車が流されている。津波の威力を改めて感じる。

午後の診療では、5人の診察をする。
何度も診察を受けその度に薬をもらっているだけの患者さんが診察に来られる。
心臓の悪い方で被災後はきちんとした診察を受けていない様子。
それに江谷先生が気づき、難波先生がお薬手帳の整理をする。
この点を考えるとかかりつけの医師の必要性を感じる。
また、足の状態の悪い患者さんがいて部屋まで往診に行く。
このような方は仮設住宅ができても自立はなかなか困難ではないかと心配である。
この2人が診察の印象に残っている。診察後、難波先生が巡回所近辺の粉塵を採取する。
すると、巡回所の住んでいる子供が来て「ここで何してるの~。」と聞いてくるので、
「砂が大丈夫か調べるんだよ~。」と説明する。
すると子供が「私、ここで何回も転んでるよ~。」とのこと。本当に粉塵に異常のないことを祈るばかりだ。

湊小学校にもどりエリアミーティングを行う。
江谷先生が巡回所で気になった患者さんの申し送りをする。

エリアミーティング後、粉塵の採取に行く。
湊中学校・渡波小学校など避難所近辺や水産加工場(漁港)など様々な場所でサンプリングする。
一見何もなさそうな砂やどう見ても異常がありそうな泥等、様々な粉塵を採取。
どこも異臭がするのだが、特に水産加工場の近辺の異臭はきつすぎる。
スタッフ全員気分が悪くなり、頭痛がするほどだ。カモメ・カラスがある場所に固まって群れをなしている。
安全な場所にいるのか、それとも加工場の何かを食べているのか。
津波の威力は分かったつもりだったが、石巻市内を車で走るたびに改めてその凄まじさを痛感する。

今日も避難所の方と話をすることができた。湊小学校の裏は山で、その手前にお墓がある。
私が行った時分にはなかったが、何台も車が流されていたそうである。
津波がきたときは、そこに車も人も流されてきたそうである。
その時、小学校に避難した人たちで、消火栓のホースを使用し、4人助けたそうである。
「洋服を着ている人は重いねえ。」としみじみ言われていた。

小学校のプールも私たちが来る2~3日前に、車と汚水を撤去したそうである。
撤去した時に、遺体などがでなくてよかったとのことである。

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震災から3か月経過しようというのに、まだそういう話なんだと、未だ過酷な環境であることを痛感した。

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ちなみにお墓の車からは撤去時に遺体が見つかったそうです(みなさん知らずに見ていたのですね・・・)




26次 江谷チームからの活動報告<その2>

【6月8日(2日目)】

 湊小学校に行く前に、日赤のそばで道路脇の粉塵採集をする。
私は素人ながら、津波でいろいろなものが流されてそれが土や砂と交じり合って粉塵となり、
いろいろな場所に飛んで行き、被災地の方々の身体に影響を及ぼしているのではないかと考えた。

江谷先生と難波先生は大変重要な調査をしているんだと感じた。
先生方が、「調査で何も(異常)なかったというのが一番いい。」と言われていた言葉が印象に残っている。

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湊小学校に着き、8時からの湊小学校の自治会本部ミーティングに出席する。
江谷先生が、診察では咳を主訴にするかたに積極的に関わらせていただきたい、
希望があれば診察時に血液検査や内視鏡検査ができるということを説明、
またこれから行う粉塵調査についても説明をおこなった。

8時半から日赤の方とエリアミーティングがあるが、
私と難波先生は粉塵採集する機械(大気中の粉塵を採取するバーカード型サンプラー・室内の粉塵を採取するポータブルサンプラー)の設置作業を行う。バーカード型サンプラーは小学校の屋上に設置する。
それを固定するためのブロックを6枚運ぶ。
ブロックは2枚ずつ運ぶが、3回目は運ぶ時は非常にしんどく3階くらいでゼーゼーなっていると、
やさしい方がブロックを1枚運ぶのを手伝ってくれる。
私の方が被災地の方にお世話になっている。ありがたかった。
難波先生は、バーカード型サンプラーを設置し、その後、小学校の教室や廊下にポータブルサンプラーを設置する。大変な作業である(もちろん、合間に薬剤師業務もこなしておられた)

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9時から診察開始であるが、9時前から患者さんが並ばれている。
お名前を伺い、カルテを取り出し、生年月日で本人様確認をする。
簡単な作業であるが初日・人が並ばれているということもあり焦ってしまう。
日赤と2チーム構成であるが、咳の診察希望が多いため岡山チームの患者が多い。それでまたまた焦ってしまう。

岡山チームの方に患者さんが5人以上並び、待ち時間が長くなったため、
日赤の方のアドバイスを受け診察を予約制として指定時間に来てもらうことにする。

私は予約制になるまで右往左往しながらも対応する。

カメラをしたり、血液を採ったり、日赤の看護師さんが「大学病院の専門外来みたいですね」と笑っておられた。

日赤九州ブロックのみなさんが対応のお手伝いをしてくれ大変ありがたかった。
午前は12時までの診察であるが、それまでには業務が終わらず、13時過ぎまで行う。
江谷先生が車で牛丼弁当を買ってきてくれた。今までで1番美味しい牛丼であった。

午後は日赤のチームが往診に行ったため岡山チームだけで診察であった。
岡山チームだけでも午前に診察を経験したため、ある程度落ち着いて対応ができると思ったのだが、
受付時に問診、体温、血圧をしていると診察が円滑にできるとアドバイスを受ける。

明日からまた不備な点は改めようと思う。

採取した血液は石巻では検査できないため、SRLという会社に頼んで東京に毎日運ぶ手はずになっていました。
16時前には検体をもって市内でSRL仙台支社の方に受け渡しをする役目を任されました。
遅刻すると飛行機に間に合わないと言われ緊張しました。

診察後に粉塵採取に向かう。
先日も車で走った場所である、石巻市立病院近くの道路沿い、石巻港近くの道路沿いなどで採取を行う。
石巻港近くの道路は、港近くのせいためか、道路脇にがれきを山積みにしているせいか、異臭がきつい。
私は物が腐ったにおいがする感じであったが、他の方は腐ったにおいの他に、
色々な物が混ざったようなにおいにも感じられるとのことである。

そういう物が、粉塵となり飛んでいくと考えると恐ろしい。
また、異臭がしていた場所からそう遠くない場所に避難所(湊中学校)があると聞き、
その避難所の生活の過酷さを考えるといたたまれない気持ちになる。

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今日、ミーティング後に少し避難所の方と話す機会を得た。
湊小学校に来た津波は2階までは来なかったが、ほぼ1階のつかるまでになったそうである。

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湊小学校の時計は、すべて3時48分(前後)で止まっている。津波が小学校に来た時間だそうである。
それを聞き時計を見ると何とも言えない気持ちになる。

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26次 江谷チームからの活動報告

JMATおかやま 26次(江谷チーム)活動報告

<日程>
6月7日(火)~ 6月10日(金)

<チーム構成>
1、江谷勉(医師)長島愛生園・・・2、難波弘行(松山大学薬学部)薬剤師兼務
3、久常信子(看護師)・・・・4、河岡志朗(理学療法士)事務担当:長島愛生園

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【6月7日(火)】

朝6時40分に岡山駅に集合する。
今回、同行するメンバーの他にも岡山医師会の松山理事、事務局の原さんも来て下さっていた。
緊張しつつ、新幹線で仙台に向け出発。江谷先生より石巻市立湊小学校での活動についての説明を受ける。
また、今回は、現地の粉塵とヘドロについての調査や健康調査を行うということで、
その事項についても説明を受ける。

通常の救護活動にプラスして調査を行うから忙しいのを覚悟するようにと
江谷先生に言われて、ますます緊張した。

東京駅につき乗り換えをして、約13時に仙台駅に到着。

仙台駅からタクシーで石巻日赤病院に向け出発。
タクシーの中で運転手さんから震災の話を聞く。

仙台市内の津波が来ていないところでも地震の影響で
道路の陥没やショーウィンドウのガラスが割れていたり、建物が壊れていたりしているのに驚いた。

14時半くらいに石巻日赤病院に到着し、受付とミーティングをし、湊小学校へ。

15時20分頃に湊小学校へ到着。
前任の田中チームと引き継ぎを行う。
田中チームの新幹線の時間の関係で素早く申し送りを受ける。
田中チームを見送り、日赤チームに挨拶をする。

明日から頑張ろうと思っていたら、16時まで診察のようであった。
ドキドキしながら患者さんを待っていたが、今日は日赤の方が対応してくれて診察はなかった。   

宿泊所への帰りに明日からの調査地点の確認のため石巻市内を見学する。
湊小学校から旧北上川のほうに向かうとすぐに家が倒壊し、舟が打ち上げられ、
車が平たく潰れている信じられない光景が見える。

テレビで見て知っているはずなのに、実際に見る景色は本当に恐ろしかった。
川沿いを通り日和大橋を通り石巻市立病院周辺に行く。そこの景色には鳥肌が立った。

遠くから見る市立病院はきれいに見えるのだが、
その周りは住宅街だったのだろうかほとんどのものが流されている。
本当に信じられない光景であった。また車の走行中、異臭も感じられた。
避難所近辺がこのような過酷な環境であることを改めて感じた一日だった。

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被災地からの便り

大津波で流される画像が繰り返し放映されたあの気仙沼で何とか生き延びた小児科医からの便りです。 
地域医療の原点を語る内容と思います。
                             
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ご心配をおかけし誠にすみませんでした。

自宅も診療所も流失し、避難所ですこぶる忙しく住所の登録せず仕事をしておった為でした。
診療所に簡易ベットを持ち込み寝泊りしながら診療に当たっています
 
私も約3分間の差で無事津波より逃げおおせました。

その後3週間避難所で生活しながら、
良く知っている子供達を含む多数の犠牲者の方々の検死を担当しておりました。
自分の人生感が根底から覆るような経験でした。

震災より40日目に仮小児科医院を開設し、現在以前と同じ様に毎日忙しく診療に従事しております。

現地におりますと復興には長い年月と多大な努力が必要であろうと思われます。
私も息切れしない様にやっていくつもりでおります。
                                                       
(パソコンも流失しましたので奇跡的に残存していた15年前のワ一プロを使用しました)




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