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矢吹チーム報告4

第4日目:4月23日(土)天気―雨

06:15 ホテルを出発
08:30 湊小学校到着

09:15 診察開始
12:00 診察終了
男1 女3 合計4名診察
口唇ヘルペス・咳・不眠・膝痛などの患者さんを診察

14:00 診察開始 午後も湊小学校での診察
  
16:00 診察終了 男2 女2 合計4名診察 日赤への処方せん なし
      高血圧・風邪・便秘などの患者さんを診察

前日、他の避難所で教えてもらったとおり自宅での避難民の状態悪化が見られる。
今後はボランティアなどに協力してもらい、自宅での避難者の受診喚起が必要。
医療費が現在は無料になっていることもあわせて伝える必要があるように感じた

17:00 石巻赤十字病院到着
      後続チームと合流し、各担当に分かれそれぞれ引き継ぎ

18:00 本部全体ミーティングに参加しその後エリアミーティング
18:30 後続チームと再度引き継ぎを継続。
19:30 石巻赤十字病院を羽田に向けて出発
21:00 宮城県 菅生SAで夕食
26:30 東京羽田のホテルに到着

第5日目:4月24日(日)天気―晴れ

06:30 ホテルを出発 シャトルバスで羽田空港へ
07:50 羽田から空路、岡山へ
09:05 岡山空港到着
      岡山空港にて医師会の事務局長様がお出迎え、5日間の活動報告と要望・今後の課題を話し合う
11:00 JMATおかやま矢吹チーム解散

矢吹チーム

【感想】
今回、岡山県薬剤師会を通して初めて災害派遣に参加させていただきました。
医師会・薬剤師会のブログを読んでも現地の状況に不安を抱きながらの参加でした。

4月の初めに岡山市薬剤師会の高木さんの声かけで会合が持たれ、
それまでに行かれた先生方の体験談を聴いて多少不安が解けました。

この5日間を通して現地の患者さんに何ができたかはわかりませんが、
医師・看護師・薬剤師の3人のチーム医療活動として少しでも診療がスムーズにできるよう、
それそれがプロ意識を持って活動し、時にはそれ以外の仕事も分かち合い、
乗り越えることができたことは私にとって大きな成果となりました。

また、普段の薬局業務では見ることのできない医療を目の当たりにして、
チーム医療としての薬剤師業務の原点を再認識したように思います。

「がんばろう東北」「がんばろう石巻」などのスローガンが掲げられていますが、

石巻港周辺

被災地に立ってみて、仙台市内と石巻市内のギャップに驚き、
市民・県民だけではどうにもならない現実を肌で感じました。
この目で見た光景が津波により岩手県から千葉県の沿岸部全域に到達していることを考えると、
その被害の大きさは想像もできません。

最近、福島原発のことばかりが報道されますが、被災した現地では避難者が悲しみを乗り越え精一杯生きようとしていることを決して忘れてはいけません。
「テレビの写真で見た光景と同じ」とよく言われますが、写真はただの切り抜き画像でしかありません。
行ったものしかわからない現実がそこにはあります。
今回の震災被害は日本国民全体の問題として捉えなければならないと思いました。
そして、被災地域が復興するまで末長い支援の必要性を感じました。
 
最後になりましたが、私の高校の先輩で、トライアスロン命の気さくな矢吹先生と
いつもパワフルでバイタリティーあふれる大釜看護師さんとチーム活動ができたことに心から感謝いたします。



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矢吹チーム報告その3

第3日目:4月22日(金)天気―雨
06:15 ホテルを出発 昨日の教訓を生かし、高速は使わず一般道で石巻へ

石巻港周辺2
<石巻港周辺>

石巻市内
<石巻市内>

08:30 湊小学校到着 

家庭科室では避難所生活者代表が会議、診療所入室は9時前になってから。雨で湊小学校の校庭はドロドロ。
雨の日は長靴は必携。フード付きのレインコートも必要。

09:00 エリアミーティング

09:30 診察開始 この日も釘を踏んだ患者さんあり。デブリ処置。

12:00 診察終了 
男6 女4 合計10名診察 日赤への処方せん1枚
風邪・高血圧・花粉症・不眠・膝痛などの患者さんを診察

この日は午後から稲井小学校体育館避難所の診察を任される
2時間の休憩は前日と同じでいつものコンビニへ、車中で昼食
14:00 診察開始(稲井小学校)
   
16:00 診察終了 男1 女1 合計2名診察 日赤への処方せん なし
避難所のリーダーより昼間はみな自宅に戻り片付けをするのでここには医療のニーズあまりがない。
ここは海岸線ではなく避難所生活者は自宅へ戻りつつあり、

17:00 石巻赤十字病院到着
アセスメントシートの記入や感染管理上のリスクアセスメントシートへの記入
及び処方箋を赤十字病院の薬剤部に提出

18:00 本部全体ミーティングに参加
・次週から木曜日に心のケアチームが入る予定。
・麻疹の発生報告があり、5月の連休明けなど注意。
 患者が発生した場合にはエリア15のショートステイ・ベースで隔離。
・嘔吐下痢の流行の可能性あり、避難所での予防策として流水で石鹸を使用し手洗いの推奨、
 ポスター作製したの で各避難所のトイレに順次貼っていく。
・作業の簡略化からお薬手帳への記載はしていなかったが、避難所で眠剤の重複投与あり。
 今後は手帳を記入していく方向。お薬手帳の在庫あります。
・小児用散剤は避難所によって様々な規格あり。日赤在庫に統一。
 感冒の約束処方を体重10kgごとに作成し、各避難所に準備します。

18:15 エリアミーティング
18:30 石巻赤十字病院出発 仙台へ
20:30 仙台のホテルに到着

今日午後に訪問した稲井小学校体育館の避難所は1週間まえに
ダンボールのパテーションで家族ごとのスペースが区切られたとのこと。
家に帰る人もあり、収容人数は40人以下で半分ぐらいは空いていた。
ここは比較的若い家族が生活。体育館の床にブルーシートがひかれ、その上にパテーションが置かれただけ。
中にはマットレス1枚が用意されているだけ。

大きな体育館のため、寒そう。灯油ストーブはあるが、果たしてこれで暖まるのか?


矢吹チーム報告その2

第2日目:4月21日(木)天気:晴れ

06:30 仙台のホテルを出発 三陸道で朝の渋滞に巻き込まれ、予想以上に時間がかかった。
      三陸道は地震で道路の凸凹が多く、スピードを落とさないと体が宙に浮くほど

09:05 湊小学校到着 湊小学校ではエリアミーティングがすでに始まっていた。

湊小学校での朝のミーティング

津波で被害を受けた体育館で始業式をしていた。ここの避難所は高齢者が多い。
スリッパに履き替え、2階の家庭科室の診療所へ

09:30 診察開始

診察風景

山形県から来られた70歳台・男性のボランティアの方が釘を踏んで診療所に。
矢吹医師は内科・救命救急経験あり、外科的処置はわがチームに。
傷口周囲の皮膚のデブリを行い、洗浄・処置。患者の体位維持の補助。
破傷風トキソイド接種は日赤に紹介。

医師が診察し、処方したい医薬品を選択、薬剤師がその薬が自己備蓄・湊小学校備蓄にあるかどうかの確認と
代替医薬品の医師への提案、その後調剤・投薬と患者さんへの服薬指導実施。

診察終了前に救急車で患者さんが搬入。低血糖により赤十字病院に搬送

12:00 診察終了
 男1 女5 合計6名診察 日赤への処方せん1枚
 不眠・めまい・風邪の患者さんを診察・投薬
  
午前終了時エリア長より午後の担当場所が発表される。
この日は午後も湊小学校を任されることになった。
荷物は湊小学校・診療所に置いたまま昼食へ。

12時から14時間まで休憩時間。
前任チームは石巻赤十字病院まで戻りトイレなどをすませ車中で昼食と聞いたが、
昼も市内の渋滞あり、時間の余裕なく途中のコンビニを拠点として車中で昼食。(移動には片道40分かかる)

被災地のコンビニも少しずつ営業再開。おにぎり・弁当・お茶などは手に入る。
トイレも普通に使用できた。湊小学校は自衛隊のテントの中にお風呂が設置。
ガスは再開されておらず、トイレも仮設トイレ中心。
小学校校舎の1階の屋根ぐらいまで津波が来た跡が壁に残っている。高さにして3m以上。
1階は完全に浸かったらしい。泥まみれの机・棚が廊下の脇に積み上げられている。

14:00 診察開始 
16:00 診察終了
 男3 女5 合計8名診察 日赤への処方せん3枚
 風邪・便秘・花粉症・高血圧・湿疹などの患者さんを診察

荷物を車に全て乗せ移動準備。

17:20 石巻赤十字病院到着
看護師さんが記入したアセスメントシートや医師が記入した業務日誌を本部に提出。
診療所で対応できなかった医薬品の記載された処方箋を石巻赤十字病院・地下1階の薬剤部に提出
(日赤への処方箋―合計4枚)

【診療所での処方せん調剤と日赤への処方せん調剤依頼の違い】
JMATおかやまとして医薬品を備蓄し、診療所では基本的にその備蓄医薬品を使用してカルテ調剤。
大原則は自己完結。
備蓄していない医薬品で湊小学校の石巻赤十字病院から供給された医薬品備蓄については
自分たちが持っていなかったり、在庫が不足した場合には自由に使用可能。

それらの医薬品については各県の薬剤師会から派遣された薬剤師が在庫管理や医薬品リストを作成、不足医薬品については石巻赤十字病院に発注。
診療所で対応できない医薬品や慢性疾患の定期薬については日赤に処方せんを書いて引換券を患者に渡し、日赤での夕方のミーティングに帰った時に薬剤部に提出、2~3日後に日赤薬剤部から各避難所に配達という流れ。
患者は避難所生活者だけではなく、避難所周囲の住民も診療所を訪れる。

18:00 本部全体ミーティングに参加

エリア15のショートステイ・ベースの利用方法についての伝達。空きベッドがあり。
インフルエンザ・嘔吐下痢症などの隔離が必要な感染症患者や入院希望の要介護者・1泊2日程度の
入院患者が利用の適応。
4月22日より避難所の要介護者の情報収集シート記入開始のお願いと
破傷風トキソイドは赤十字病院外来での接種でとの伝達あり
エリアリーダーからは本部のヒアリングに出席、聴き取りが長引き、エリアミーティングは中止

19:00 石巻赤十字病院出発
21:15 仙台のホテルに到着

前チームなどから引き継いだ医薬品が3箱あり今回自分が持ち込んだものもあり、
MS温シップの10kgダンボール合計3箱に医薬品が入っている状態。

狭い診察室での調剤には向いていない。医薬品卸さんがいつも納品の時に使っているプラスティック製の折りたたみができるコンテナがあれば持ち運びに便利。多少雨が降ってもナイロンをかぶせれば何とか対応できる。

5個あれば充分。その他にディスポシリンジ・ガーゼなどの医療材料のダンボールも荷台にあり。
⇒早速、医師会でコンテナを準備して頂いた。



矢吹チームからの報告

マスカット薬局日本原店 薬剤師 中島利裕さんから報告を頂きました

救援活動報告

活動期間:平成23年4月20日~平成23年4月24日
活動拠点:石巻赤十字病院
活動内容:石巻地区周辺の避難所、救護所の救援活動

構成員 JMATおかやま矢吹チーム(第7エリア担当)
    医師:矢吹 輝・看護師:大釜尚美・薬剤師 中島利裕(事務兼務)

第1日目:4月20日(水)天気:東京―晴れ 石巻―曇り時々雨

岡山空港出発
※松山理事見送りに

07:35 岡山空港発→AM8:50羽田空港着の飛行機で東京へ移動
      前任の高木薬剤師から依頼された不足している医薬品も持参

09:30 ハロートーキョウ(運転手2名)のハイヤーで東北道を通り石巻に向け出発

11:30 途中、栃木県・那須高原SAにて昼食

12:00 石巻へ向けて再出発(途中、宮城県・菅生SAでトイレ休憩)

15:30 石巻赤十字病院到着

先発チームはまだ活動中の時間であるため先に石巻赤十字病院2階・災害対策本部で
ボランティア登録を済ませ、対策本部スタッフより現状報告、活動内容など簡単な説明を受ける

石巻赤十字病院を災害対策本部として石巻市内を15のエリアに分けており、
JMATおかやまはその中のエリア7で活動。

エリア7チームメンバー
<エリア7チームメンバー>

1つのエリアでは5チーム程度が配属、エリア7で最大の湊小学校家庭科室で全チームが午前中診察。
午後はエリアリーダーに指示され、他の避難所での診察に1チームごとで巡回とのこと

16:40 先発チームと合流し、医師・看護師・事務それぞれ個別の引継ぎ作業を行う

現地での移動車両はハイエース。ガソリンはレギュラー。
乗用車とは異なり、サイドブレーキの解除方法を申し送りされる。
活動車両
ガソリンスタンドは石巻でも通常営業、不足はなし

18:00 対策本部前の会議室で全体ミーティングに参加。

エリアから集められた情報から感染症情報や避難所周辺での要介護者の掘り起こし、
報告書の依頼など連絡事項・本部としての対策の方向性・行政からの情報などを伝達。
本部への要望の聴き取り。

18:15 エリアミーティング(1F 整形外科 外来診察室前にて)
今日のエリアでの出来事や問題点の聴き取り・連絡事項の伝達。

18:30 先行チームを見送り宿泊先である仙台市内のホテルに向けて出発

三陸自動車道は松島大郷I.C.や鳴瀬奥松島I.C.付近での渋滞あり。
災害派遣車両・ボランティアの数が増えてきて移動にかなりの時間を要した。
災害派遣車両登録済みのため、高速道路は料金は無料。

20:40 仙台のホテルに到着
21:00 仙台市内にて遅めの夕食
22:00 ホテルの自室にて薬品の整理と在庫数量の確認を行う

仙台市内は飲食店なども通常営業。
コンビニは取り扱い商品不足もあり、商品がない棚もあるが、おにぎり・弁当・お茶・水などの商品は問題なし。

活動拠点となる石巻赤十字病院付近は震災・津波の影響は見られず。
石巻赤十字病院は震災当初は救急のみの受け入れであったが、現在は通常の外来診療も再開。
糖尿病でのインスリン注射などの慢性疾患治療は外来で対応可能とのこと。
避難所の方には石巻赤十字病院の外来診察再開情報が行き届いておらず。


新津チーム報告その4

4月17日(日)活動三日目  天気―晴れ 強風にて埃が舞う

06:30 R&Bホテルを出発
08:00 湊小学校到着(渋滞が緩和していた。後発隊の出発確認)
09:00 診察開始(この日は午後からも湊小学校の診察を任される)

震災1ヶ月くらいになると定期薬がなくなる頃で、
その場で調剤するというより処方箋の発行が多くなってきた(ノルバスク、クラリチンなど)

自宅で動けなくなっていた老人を近所の方が搬送。
歩行困難・下肢チアノゼ・BP上昇―ドクターの判断で救急要請。一時診察室が騒然となる。

12:00 診察終了  男4 女2 合計6名診察
14:00 診察開始
この日は1チームになり事務員がまったく不在。
開始と同時に6-7名受診され一時満員となった。
処方は不眠のデパス(0.5)やホクナリンテープ(2)シップなどが多かった

16:10 診察終了 男1 女10 合計11名診察

前日、他の避難所で教えてもらったとおり、自宅での避難民の状態悪化が見られる。
今後はボランティアなどに協力してもらい、自宅での避難者の受診喚起が必要。
医療費が現在は無料になっていることもあわせて伝える必要があるように感じた

17:00 石巻赤十字HP到着(院外処方箋―3枚)

後続チームと合流し、各担当に分かれそれぞれ引き継ぎ作業を行う

18:00 リーダーミーティングに参加しその後エリアミーティング
19:00 後続チームと別れ、一路東京を目指す

途中SAにて夕食を摂った。
渋滞はなくスムーズに流れていた様子だが私は車に乗って10分持たないうちに眠ってしまい、
気がつけばホテルJALシティ羽田でした。午前1時くらいだったと思います。

4月18日(月)帰郷日

羽田→岡山 4/18発 ANA651便 (7:50-9:05)
JMATおかやま新津チーム解散

<まとめ>

初めての災害派遣で何ができるのだろうと不安なまま出発しました。
3日間の活動を振り返っても、被災者の方に何か出来たといえることはありません。
ただわれわれ薬剤師は2チーム、3チーム前から
いままで見ず知らずの関係であった薬剤師たちと連絡をとりあっております。

当然不安だからというのも否定できませんが、
そのことでJMATおかやまとして情報の共有ができ避難所での支援が安定していたのではないかと思います。

ひとつの目標に向かってさまざまな人たちがかかわって成功に近づいていく。
そのひとつの架け橋にはなれたのではないかと思います。

次につないでいく大切さを経験させていただきました。
まだまだ被災地は復興の兆しが見えません。
どんな形であれ、継続して復興支援に関わっていきたいと思います。

最後に、 新津頼一先生 三宅恵子先生 ありがとうございました。
一緒に参加できたことを一生の宝にしたいとおもいます。



新津チーム報告その3

4月16日(土)活動二日目  天気―晴れのち雨

06:30 R&Bホテルを出発
08:20 湊小学校到着
09:00 診察開始

処方例3

12:00 診察終了 男1 女8 合計9名診察

この日は午後から市民会館の診察を任される

2時間の休憩は前日と同じで赤十字HPに戻り、車中で昼食とする

午後からの避難所に向かう途中給油を行う
     (1日約150Km走るため早めの給油が必要。赤十字HP付近のGSは通常通りの営業が行われている)

14:00 診察開始(市民会館)

処方例4

15:20 診察終了 男0 女3 合計3名診察

避難所のリーダーより昼間はみな自宅に戻り片付けをするので、ここには医療のニーズがあまりがない。
それよりは、自宅の残った二階部分で生活している老人や
避難所と認定されていない場所(ラブホテル)などが心配との情報をもらった。

診察を早めに切り上げて情報のあったホテル、マンション2箇所を回ったが、
そこも医療を必要としている避難者は居なかった。

17:00 石巻赤十字HP到着

事務の仕事であるアセスメントシートの記入や業務日誌に記帳及び処方箋を
赤十字病院の薬剤部に提出など事務作業を行う(院外処方箋―2枚)

18:15 エリアミーティング
21:00 仙台市内で夕食

どこの避難所も咳の訴えが多い。
またどの患者も自分が眠れないことは我慢しても他人に迷惑がかからないよう
咳だけを鎮めたいとの申し出ばかり。

みななんでも我慢する傾向が見られる。
あと入浴が十分ではないため、かゆみなどの皮膚疾患もあるようだった。

水とガス:ライフラインの復旧が重要
また、避難所の責任者から得られた自宅の二階部分での生活者の診察ができればよいのだが・・・。

市民会館では女性たちが、自宅から持ち寄った食材で時には料理をされる様子。
伺ったときも食器を洗っておられた。

今日も、日常ありふれた食器を洗う音・水のはじく音―懐かしい感じさえし癒された気がする。

新津チーム報告その2

4月15日(金)活動初日  天気―晴れ

06:30 R&Bホテルを出発
     (渋滞が予想されるとの申し送りあり。2チーム前は1時間から一時間半で移動していたとのこと)
08:20 湊小学校到着
     (朝に行われていた赤十字での全体ミーティングはなく
      第7エリアは午前は全チーム湊小学校に集合することになっていた)
09:00 診察開始

処方例1 など

12:00 診察終了 男1 女6 合計7名診察

午前終了時エリア長より午後の担当場所が発表される。
この日は午後も湊小学校を任されることになった
12時から2時間の休憩時間がある。
われわれは赤十字HPに戻りトイレなどをすませ車中にて昼食をとることにした(移動には片道30分かかる)

14:00 診察開始
処方例2

16:20 診察終了 男4 女3 合計7名診察

17:00 石巻赤十字HP到着
事務の仕事であるアセスメントシートの記入や業務日誌に記帳及び処方箋を
赤十字病院の薬剤部に提出など事務作業を行う(院外処方箋―1枚)

DSCN0448.jpg

18:20 エリアミーティング
     (本日より沖縄赤十字が合流し今までのリーダーチームの藤沢湘南台HPは一時解散となる)
21:00 仙台市内で夕食
22:00 ホテルのロビーをかりて看護師と薬品の整理を行う

AM 01:00 就寝

前チームなどから引き継いだ医薬品が2箱あり、
今回自分が持ち込んだものもあり合計3箱に医薬品が入っている状態。

DSCN0453.jpg

狭い診察室での調剤には向いていない。

看護師の手をお借りして棚卸作業を行い、
必要なものを小さめの箱に入れることである程度最小限の持ち運びにできた。
DSCN0464.jpg

明日からはもう少しスムーズに調剤ができればよいのだが・・・。

患者の傾向としては咳が多い。
またトイレが不自由のため水分を控える傾向にあり、便秘で血圧上昇している患者さんがきて、
急遽看護師により浣腸する場面もあった。

また、風呂もわれわれの到着前日くらいから入浴ができるようになったようで、
1ヶ月入浴しておらず皮膚疾患も出ているように感じられる。

夕方子供たちの遊ぶ声が聞こえた。
昼間は重機やボランティアたちの音しか聞こえていなかった。
子供たちの遊ぶ声―とても癒された感じがした。


新津チームからの報告

活動期間:平成23年4月14日~平成23年4月18日
活動拠点:石巻赤十字病院
活動内容:石巻地区周辺の避難所、救護所の救援活動
構 成 員:JMATおかやま新津チーム(第7エリア担当)

医師 新津頼一・看護師 三宅恵子・薬剤師 藤本浩之(事務兼務)

新津チーム



4月14日(木)集合日
07:35 岡山空港発―AM8:35羽田空港着の飛行機で東京へ移動
09:00 ハロートーキョウ(運転手2名)で陸路で石巻へ出発
11:00 途中SAにて昼食
      (先発チームより現地付近の路面が悪く気分を悪くしたとの情報もあり軽めの昼食とする)
11:30 石巻へ向けて再出発(途中給油のため1度GSに立ち寄る)
15:00 石巻赤十字病院到着

先発チームはまだ活動中の時間であるため先にボランティア登録を済まして
赤十字の対策本部スタッフより現状報告、活動内容など簡単な説明を受ける

17:00 先発チームと合流し、医師・看護師・事務それぞれ個別の引継ぎ作業を行う
      (先発チームには薬剤師がいなかったため薬品などの情報は得られず)

18:15 エリアミーティング(1F 内科診察室前にて)

ミーティング

 (6時より行われる各エリアのエリア長ミーティングの後に個別にエリアミーティングとなる)

19:00 先行チームを見送り宿泊先である仙台市内へ向けて出発

ボランティアの数が増えてきて移動にかなりの時間を要すると申し送りあり
約2時間を要しR&Bホテルに到着

21:00 仙台市内にて遅めの夕食となる

仙台市内及び活動拠点となる石巻赤十字病院付近は震災・津波の影響は見られず、
TVでみた光景とはぜんぜん違う。赤十字病院内も通常の外来診療も再開していて落ち着いてみられた。

明日からどんなところに行くのか不安になる。


河島チーム報告その4

4日目:4月20日(水)

6時30分にホテルを出発、矢本PAでトイレ休憩し湊小学校に直行。8時45分に到着。

9時からのミーティングで午前中は湊小学校(約300名)で診察、
午後から祥光寮(約30名)を担当する事になった。

9時30分から12時まで3チームで湊小学校の診療所での診察開始。
東京都医師会チームは引き続き湊小学校内を巡回診療。

12人の診察で、薬処方11名(日赤への処方箋2名)
高血圧、ねんざ、咳、アレルギー他。咳の人が多かった。

12時20分に診察終了後、石巻赤十字病院まで戻り、昼食とトイレ休憩

14時~16時20分 祥光寮にて20名診察。薬処方18名(日赤への処方箋6名)
花粉症、高血圧、血栓予防、かぜ、白内障、腰痛、耳痛など。

16時40分に石巻赤十字病院に到着。後任の矢吹チームと合流し、引き継ぎ。
医師、看護師、薬剤師がそれぞれ申し送りを行った。

18時~全体ミーティング、18時10分~エリアミーティング。
18時40分 矢吹チームに見送られ石巻赤十字病院を後にする。

20時過ぎに菅生SAで夕食。25時に羽田のホテルに到着。

診療時間の事前通知が上手くいっているようで、
祥光寮の避難者以外にも近くの被災者が多く来られたため新患が多かった。

今後、エリア7では避難所ごとに曜日と時間を固定して定期的に訪問する事になっているので、
患者も増えてきそう。処方箋やカルテの用紙は多めに用意しておいたほうがいいかもしれない。

5日目:4月21日(木)

7時50分発の飛行機で羽田を離れ、9時に岡山に到着。
大きなアクシデントもなく、3人で記念撮影をし解散。

実働3日ではあったが、あっという間だった。

同じエリアでも避難所によってライフラインの状況や環境、
避難者の雰囲気が全然違う事に改めて驚きました。
1か月以上たち避難所によっては閉鎖を見据えて徐々に自立をできるよう
サポートしていくことも大事なのではと感じました。

しかしながら、まだまだ長期的な支援が必要なところが多く
今後も継続的にチームを派遣していく必要があると感じました。

河島チーム報告その3

3日目:4月19日(火)

6時30分にホテルを出発し、石巻赤十字病院を経由し9時に湊小学校に到着。
前日同様、午前中は湊小学校(約300名)で診察。午後からは稲井小学校(約50名)で診療する事になった。

9時30分から12時までで、11名を診察。薬の処方は9名。(日赤への処方箋はなし)
高血圧、咳、不眠、アレルギー疹、腰痛、花粉症、小児喘息など。

12時20分に診察終了後、石巻赤十字病院まで戻り、昼食とトイレ休憩

14時~15時40分、稲井小学校で8名診察。8名全員薬処方。(日赤への処方箋はなし)
咳、下痢、不眠、湿疹、花粉症など。河島医師より下痢のひとが多いとの感想。

雨が降っているうえに川沿いの道を走るため、早めに切り上げて帰ってくるよう指示があり
16時に湊小学校に到着。カルテ返却後、石巻赤十字病院に17時に到着。

18時~全体ミーティング、18時15分~エリアミーティング。
18時30分石巻赤十字病院を出発し20時40分ホテルに到着。途中で雨が雪に変わる。

今日はエリア全体ではチーム数に余裕があったので東京都医師会チームが、
湊小学校を巡回診療したところ、咳の人や血圧が高いのに我慢している人が多くおられたとのこと。

受診を我慢していたようで、巡回診療の必要性が確認された。

JMATおかやまとしては、湊小学校のストックも上手に使い、処方箋なしで終われた。

午後からの稲井小学校は体育館に今日現在50人くらいだが、明日には他の場所から多くの人が移ってくるらしい。
ダンボールで1人~2人分くらいのスペースに仕切られていて雰囲気もどんよりしており、
避難者も元気がなく活気がない。
稲井小学校(体育館)

今までの避難所との違いに河島医師、名古谷看護師とともにショックを受けた。
4月21日からは学校が始まる予定で体育館しか使えなくなり、環境はより悪化。

手洗い、消毒の徹底をお願いはしたが衛生状態の管理にも不安が生じる。
河島医師の下痢が多いとの感想と合わせて、湊小学校に戻ってエリアリーダーにその事を伝え、
1週間後と言わずに21日以降で早めに視察し、環境をアセスメントし直す必要性を伝えた。
日赤に感染症対策の専門チームがあるそうなので場合によっては
そちらに相談することも検討してほしいことも伝えた。
エリアリーダー自ら視察してくるとのこと。

河島チーム報告その2

2日目:4月18日(月)

6時30分にホテルを出発し、8時30分に湊小学校に到着(直行)
湊小学校(避難所)

湊小学校に、自衛隊の仮設風呂が出来ていた。
自衛隊の仮設風呂(湊小学校)

9時から診療所があき、ミーティング。午前中は湊小学校(約300名)で診察、
午後から牧山社務所(30人)と梅渓寺(8人)の2か所の避難所を回って診察する事になった。

9時30分から12時まで全4チームで湊小学校の診療所での診察開始。
湊小学校診療所の様子4

全体で約30人、JMATおかやまは8名の診察。
湊小学校での診療の様子

新患1名、薬処方4名(1人は日赤病院への処方箋)
常用薬の処方、ねんざ、外傷、気管支炎、花粉症など。

湊小学校診療所の様子3
(湊小学校診療所の様子:以前は無かった衝立で仕切られる)

12時20分に診察終了後、石巻赤十字病院まで戻り、昼食とトイレ休憩

14時~15時20分 牧山社務所で8名診察。薬処方8名(日赤病院への処方選は2人)
血圧、糖尿病等の常用薬の処方、花粉症、腰痛など。

15時30分~16時 梅渓寺で1名診察。
乾癬、白内障でオキサロール、カリーユニが手持ちになく、日赤病院への処方箋で対応。

18時~全体ミーティング、18時30分~エリアミーティング

今週は避難時に要介護(援護)が必要な人を把握し、寝たきりの患者を遊楽館にできるだけ誘導。
日赤本部は第2津波を警戒している様子。

ショートステイベースを確保。
インフルエンザ、肺炎、下痢等で隔離や点滴治療等が必要で、
入所期間も短期間で済みそうな人を送ることができる。

石巻赤十字病院と湊小学校の中間地点ぐらいから徐々に津波の跡が見られだし、
湊小学校付近では、ほとんどの家屋が全半壊しており、被害のひどさを再確認するとともに、
湊小学校のすぐ近く

湊小学校のすぐ裏
湊小学校のすぐ裏

石巻赤十字病院付近との落差に驚いた。

湊小学校では、避難者の方から、差し入れのパンを頂いた。
前任のJMATおかやまの誰かか、それとも別の岡山からの支援者かはわからないが、
うらじゃのCDをもらっていっしょにうらじゃを踊って元気をもらったお礼ですと言われた。

仕事をする前から少し嬉しくなるできごとだった。昼食に食べさせてもらった。

河島医師は優しい言葉をかけながら、診察をし、時折、患者からも笑顔がこぼれる。
名古谷看護師も血圧測定、診察の補助などテキパキと動かれ、河島医師をフォローされ頼もしい。

薬剤師の高木も薬の調剤、服薬指導の他、河島医師の診断に対して使える薬を手持ちの医薬品や、
湊小学校の備蓄医薬品から選んだり、常用薬がない場合の代換え品の提案などチームの一員として活動。
湊小学校診療所の備蓄医薬品

診療そのものは問題ないが、処方箋の記載項目やアセスメントシート、救護日誌など
記入しないといけない書類が多く、3人のチームでは診療終了後がかなりバタバタする印象。
できるだけ4人のチームが望ましく感じた。

牧山社務所、梅渓寺は山の奥にあるが、
自衛隊の給水、配給、ライフラインが確保されており、みなさん元気そう。

特に梅渓寺では1名を除き全員出かけており、自力で必要な医療を確保されていた。
ただし、その1人の方は我々が来たことを大変喜んでいました。

中には新しい車の確保のために書類を揃えに行った人もおられた。
牧山社務所でも、数人の方が避難所からの移動を計画して次に向けて動き始めている方たちもおられた。

このような避難所は徐々に閉鎖できる方向で支援していかなければいけないのだろうと感じた。
大潮と満潮が重なったため夕方、梅渓寺から降りてきたら、道路が冠水していた。
道路の冠水(梅渓寺の帰り)

梅渓寺、牧山社務所に行ったときは遅くならないうちに帰る必要あり。

19時に石巻赤十字病院を出発。20時30分ホテル到着後、夕食。
昨日作成した在庫リストを元に、在庫数を確認し後任チームの中島薬剤師に不足しそうな医薬品の補充を依頼。



河島チームからの報告

JMATおかやま 河島チーム 活動報告書 : 報告者 高木紀彦(薬剤師兼事務)

活動期間 4月17日(日)~4月21日(木)

チーム構成 : 河島 留一(医師)・名古谷 直子(看護師)・ 高木 紀彦 (薬剤師兼事務)の3名

岡山空港にて(出発時)

担当エリア : 第7エリア(石巻赤十字病院の南東約5kmで旧北上川を渡ってすぐ)

1日目 : 4月17日(日)
7時35分岡山空港を出発し、約1時間で羽田に到着。

9時ごろに羽田を出発し、12時ごろ福島県の安達太良SAで昼食。

14時30分に石巻市に到着、石巻赤十字病院には14時45分に到着。
到着後すぐに、2階の救護班受付にて受付をし、担当者より説明を受けた。
その後、先行の新津チームの帰りを待ち、17時より引き継ぎ。
医師、看護師、薬剤師がそれぞれ申し送りを受けた。

18時~全体ミーティング、
全体ミーティング

18時30分~エリアミーティングを新津チームと参加。
エリアミーティング

半壊住宅に戻って住んでいる人がいないかローラー作戦をかけて、確認していた様子。

18時50分、新津チームを見送り後、石巻赤十字病院を出発。
新津チームと

20時、仙台市のR&Bホテルに到着、ホテル近くで夕食後、解散。

解散後、薬剤師として、JMATおかやまの持っている薬を確認し薬品リストを作成。

現地の新津チームの藤本薬剤師の連絡により補充した医薬品は
アレグラ60mg(140錠×2、ホクナリンテープ2mg(70枚×2)、オメプラゾン10mg(100錠×1)。

高速走行中、いろいろな県の警察や自衛隊、電気、ガス関係の災害支援車両を多く見かけた。
日曜日の割にはスムーズに流れ、早く着いた様子。
高速道路は福島県の白河ICあたりから段差が多くなり、
周りの家も屋根の瓦が落ちていたりと地震の影響が見られ始めた。

石巻市に到着も石巻赤十字病院のあたりは、店やガソリンスタンドも営業していて、
見た感じでは、あまり地震や津波の影響を感じられなかった。

先行チームより、ガソリンも並ばずに普通に給油できると言われた。

仙台市に戻ると、食事も普通にでき、翌日の朝食や昼食もコンビニで買う事が出来た。
飲み物も、水、お茶、ジュース、紅茶などが売っていた。

個人的な感想としては、1日目は目にした風景は想像していたよりも日常的で、
出発前の緊張感が和らいでしまった。


村上チーム報告その5

帰路は行きのゆったりシートではなく、
少しリクライニングできても安眠はできない10人乗りワゴン。

もちろん贅沢は言えない。

非難所の皆さんに比べれば。両備サービスのドライバーの皆さん。ありがとうございました。

医師会が用意してくれたホテルには午前1時40分に到着。

東芝から借りた携帯γ線測定器の値は全行程で7μSvであった。

朝一番の飛行機で帰岡後、内視鏡検査に入ったが、昼からのCFはさすがに6人目で少し体調不良を覚えた。

2日間は背筋ががちがちこわばって仕様がなかった。
ついでにO-1に罹病し、水様便が丸一日続いた。
避難所の公衆衛生も少しは勉強して行ったのだが。
体力だけは自信があったが、こんな始末である。

この医療ボランティアで、何か自分の中で変わったもの、付け加わったものがあることは事実だ。
それが今後どのような形で成長していくのか、今は分からない。
しかし震災報道が今後少なくなっていっても、自分はあの石巻を忘れない。

この機会を与えてくださった医師会、連携してくださった皆様に本当に感謝し、
皆様もわれわれを通じて石巻とつながったことをお知らせして、
この長い報告を終わりにしたいと思います。

そして最後にもう一度、あの景色を思い浮かべて、合掌。

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家族が出発の見送りの際にくれた、激励のカードです。

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村上チーム報告その4

4月11日 最終日の朝、

少しわがままをドライバー武蔵さんに聞いてもらって、石巻港を一望できる日和山に向かってもらう。

NGOのピースボートの人を始めボランティアの活動で、主幹道路はかなり瓦礫も片づいて、
009のサイボーグたちの全体像が商店街の歩道にちゃんとたっているのが分かるようになっている。
しかし枝道はまだまだ車は蛇行しないといけないぐらい、
材木の破片や汚れたままのサンタがうち捨てられたままである。 

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芭蕉も訪れたという日和山には、TVのクルーが大きな声で痴話話をし、ゴルフのスイング練習をしていた。

この医療ボランティアには避難所での救護だけではなく、自分にはもうひとつ目的があった。

助かった命の少しでもの援助と、もうひとつは亡くなったあるいは行方不明の人々の鎮魂。
四国を歩くときにはいつも左手に握られている数珠を持参し、南無大師遍昭金剛を唱えて、
あまりにむごすぎる広大な津波の爪痕に向かって合掌した。
ここは桜の名所かもしれない。(今日つぼみの桜よ、今年は愛でてくれる人は少ないだろうが、来年はきっとその下に強い石巻の人たちが復興の道程で疲れた体と心を癒すと思います。)

短すぎる活動の最終日。

診療開始までの待ち時間に避難所自治会、衛生班長のおじさんが実体験を話してくださる。
1階が幼稚園の2階で仕事をしていて被災した。
教諭が園児を2階に上げようとするのを制して、2階は耐震構造でないからと、
道を挟んだこの小学校に避難させた。

当初体育館に避難していた人々を津波警報で、小学校2階に上げ、
津波が来て流されてきた人を2階の窓から4人消防ホースを使って助け上げた。
道は高台に逃げようとする車で渋滞していたが、そこを津波が襲って、
逃げ遅れた人は歩道橋に上って一晩を過ごし、胸のあたりまで海水が引いた時点で小学校に避難してきた。
翌朝校庭には泥と瓦礫とそして津波にのまれた亡骸が何人も横たわっていたと。

津波体験の傾聴は続く。

救護所に訪れた69歳の女性は、震災時しんどくて3日間寝ていた。
津波は白い蛇がくるように見えた。
庭の椿の幹に19年前に亡くなったお父さんが現れて、裏の寝たきりのおばあちゃんを助けにいけと告げた。

おばあちゃんを2階の押し入れに押し込み、猫の糞まみれの二階のカーテンレースにしがみついて、
この瞬間を見逃してなるものかとまばたきもせず津波を見続けた。
壊れた家の残骸がその家の周りに防波堤のように壁になって助かった。

一晩トタン屋根の上で過ごした。
民間の人が来たが、生きている人は自分で避難所に向かってくださいと言われ、
後で自衛隊員におんぶしてもらってここに連れてきてもらった。
まだ水がとても貴重な時、他の人もいるのにコップ4分の1ほどの水を自分だけもらって、
その水がとてもとてもありがたくおいしかった。
慰労に訪れた神戸震災で弟を亡くしたうたのお姉さんの歌と話で、津波後初めて涙したと。

こうして20分や30分の診療時間はすぐ過ぎる。この日の午前は診察4人、その人達の近親者の処方だけの4人。

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昼からは2日前にいった稲井公民館の診察に手を上げる。
ロキソニンを投げ込み、残ったビスケットとビダーインゼリーをガソリンの香りと共に飲み込む。

この日昼の時間に、エジプト、モロッコ、イスラエル、ジンバブエの大使達が、
避難所に訪れてぬかるんだ校庭に立ち拡声器で激励を送っていた。
人々は窓を開け、一人がなげかける言葉を通訳が伝えるたびに拍手をしている。(本当にいい人たちだなあ。)
全部を聞く前に出発。

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大回りを頼んで港に残っている石巻大橋を渡ってもらう。
津波のとてつもない破壊力とそれに対する人間の構築物の無力さをいやというほど見せつけられ、
心は悲鳴を上げる。

市民病院がキレイなまま無人の廃墟としてそびえている。
広報では外来処方だけは決められた時間にしているらしい。
自衛隊がうず高く盛り上がった瓦礫処置を重機で行い、険しい表情の隊員が交通遮断をしている。
(彼らも交代はするのだろうが、わたしたちより厳しい死の現実を見せつけられ、
その経験はきっと今後の彼らの人生に大きな影響を及ぼすのだろう。
そしてわたしもそうだが、自分の目で見、体で感じたこの石巻を忘れないだろう。)

最後の避難所診療は、少し早めの1時半から始めたが、放送と同時に10人ほどが集まり、
武蔵さんが気を利かしてパイプ椅子を出してくれた。

PLと咳止めの在庫がそこをついてしまった。

ホタテと牡蠣とホヤの養殖を全部流されたと言っていたおばさんにも十分量の処方ができなかった。

最後に一番ひどい咳症状のおじさんが来たのに、
残りのメジコンとシベノールを合剤としなければならなかった。

日赤のメロンパン部隊に頼む処方も5通はあった。医療ボランティアの需要は高い。

こうして我々の援助活動は終了した。
診療前に漏れていたガソリンボックスを車に注いで空にしていたのだが、
2日間のガソリン臭はなかなか取れず、もう一度ロキソニンを流し込む。
かえり道で津波警報が出るほどの福島沖の大きな地震があったようだが、
もともとでこぼこ道なのでどこで地震に遭遇したのか分からなかった。

5時半に日赤ロビーで後続の稲田先生チームに申し送りをして、最後のエリアミーティングを終えた。

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村上チーム報告その3

4月10日

時間に余裕があることが分かったので、6時半にホテルを出発。
朝からガソリン臭の漂うハイエースで湊小学校に直通。うー、また朝から頭痛が。
ガソリンスタンドやパナーム弾の飛び交う戦地では働けない体です。

ミーティングの後、午前の診療開始。本日は日本の他の地域では日曜日なのだなあ。

咳のでる2人に処方した後、エリア幹事から各教室の巡回のボランティアを募るアナウンスがあり、
迷わず手を上げる。(もちろんそのために来たのです。)

幹事チームの長崎日赤は2階から、われわれは4階から回ることになる。
5つの教室を順に回っていく。
お年寄り女性と30代男性の2人しかいない部屋や家族3人や近所の人たちが6、7人集まっている部屋など。
それぞれの構成は異なるが、昨日のように膝をつき、
同様の声掛けをしながら医療ボランティアへの要望を聞いていく。
救護室には来られなくても、聞いてみると不眠や咳、脱力など投薬の需要は多いことが分かる。
(これは夕のミーティングに報告すべき項目だ。)

明日から仕事に行けるという主人と小学低学年の男の子のいるお母さんが、
月に3回あった生理不順を訴えられる。

夜間に多い咳の処方をしているとき、突然“ピンポンパーンポーン、ピーンポンパンポーン”と
どこの学校でも聞かれる時限チャイムが鳴り始める。
それが拍手のきっかけだった。気付くとみんなが天井の電灯を見ている。
“1ヵ月ぶりに電気が通った”と、

そしてたまたまその場に居合わせたわれわれに“ありがとうございます”と礼を言われる。
一人のおばさんは、“ぜひ2年後また来てください。おいしい魚を食べてください。”と笑顔である。
(必ずこさせていただきます。おいしい魚を思いっきりたくさん食べにきます。)

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昼はハイエースの中で残りのパンとビダーインゼリーですませて、
2時からの往診までの少しの自由時間歩く。

海岸は近い。水産工場の跡と思われる1階部分に、
どんな力が加わったか想像できない形で自動車が突っ込んでいる。
誰かが並べたのか、何もないコンクリートの基礎の上に木製のインドゾウやらの置物が並べておいてある。
当然のことながらそこに日常生活があった痕跡が、いたるところに細切れに散在している。

1時にエリア幹事から頼まれ、前もって保健婦さんから連絡を入れておいてもらった家に、
もう一度携帯で連絡を入れて76歳のおばあちゃんの往診に向かう。

まだ主幹道路も冠水し両脇には泥混じりの残骸が山積みになっている。
湊小学校より歩いて5分ほど、立派な6階建ても県営アパートのはす向かいにある小料理屋の2階。
坊主頭の息子さんが玄関で待っていてくれた。

1階の店の部分を掃除して、使えそうな仕事道具をかたづけている。
今はもう自炊に使われているのかガスコンロはきれいに掃除されており、調理台にのっている。

2階に案内され、ベッドで横になっているおばあちゃんを診察する。
1ヵ月前に左大腿を切断されていて、震災1週間前に退院したところだったとのこと。
右足の甲に3cmほどの褥瘡ができており、1週間ワーファリンや高圧剤などの薬が切れていた。
認知症があると聞いていたが、受け答えもしっかりしており生年月日もいえる。

しかしJMATトリアージではRED CARD。
日赤本部に救急車の依頼をするも、わたしの言い方が悪かったのか緊急性がないと断られた。

翌日に外来処方を息子さんに取りにいってもらうように伝え、褥瘡の消毒のみさせていただいた。

津波来襲時、1階にいたおばあちゃんを担いで2階の階段にあげたときには、
がっしりした息子さんの首まで海水が押し寄せていたとのことで、その後が白い壁にありありと残っている。

本当は手術した日赤に入院させてもらって、その間に家の整理がしたかったようだが、
力になれなかったことをお詫びすると、笑顔で往診の礼を言ってくださった。

県営アパートの1階からは、だめになった電気製品が運び出されていて、
後に聞くところでは日曜の今日からボランティアが入ってかなり片付けが進んだようだ。
しかしまだまだ人手不足。

小学校に帰りエリア幹事に報告したあと、家庭科室での診療を手伝う。
外の避難所診療は、日曜は2カ所のみ。それぞれ週何回かの診療が決まっている。
1歳の男の子の腸炎には、ほかのチームからもらったOS-1が役だった。

花粉症の姉弟の母親からは診療費を尋ねられた。(ボランティアです、お金はいりません。)
ボールに乗っていて誰かに押されたような気がすると言う、肘の打撲の男の子。
(被害者意識とは言わなくても、誰かを悪者にしたい気持ちは分かるよ。でもきっと乗り越えられるよ。)

3時を回ったころ、本部から往診の依頼。
我々のエリア内で、DMでふらつきがあるおばあちゃん。
娘が、今日車で1時間ほどの広川の方につれて帰るのに心配して日赤に連絡があったとのこと。

ナビで住所を確認しながら向かう。
瓦礫で道を違うが、畳を上げて掃除をしていた娘とピアスの孫に来訪を伝え、
もう良くなったと言うおばあちゃんに、
古い家にみられる日当たりのいい廊下においてあるベットに横になってもらい、まず血糖測定。

それがなかなか血液が出てこない。確かに皮膚は硬く肥厚しているが何回しても出ない。
耳朶でも試みるがでないため、高畠さん自ら針を刺してもやっぱりでない。
最後はキットでない針を使ってBS236。BPは136。ずっと避難所や友人のところにいて疲れていたと。
野菜ジュースを飲んだ後だと言われるし、インシュリンの持ち合わせもないため、今日は娘さんのところに行って、いつもの食前の薬を飲んでもらうように言いそこを辞退した。

なんだか少し無力感。日赤に帰着し、その日の出来事を夕のミーティングで発言して、今日の活動は終了。
ガソリン臭のハイエースでホテルへの帰路につく前にロキソニンをもう1錠。

今日は飯粒が食べたいと言う武蔵さんの意見に賛同し、
駐車場とホテルの間に最初の夜から気になっていたがためらわれて誘えなかった牛タン屋に二人を誘ってみる。
異議の動議はなし。(牛タン定食1520円は安くないし、不謹慎のそしりは村上がおいます。すいません。経済援助とは、自己弁護か。)

これまた避難の渦かもしれないが、最初の1杯のBeerのうまさはここ何十年ぶりか、人生初めてか。
愉快な仲間(たった3日の道連れで仲間呼ばわりは二人には迷惑かもしれないが)と、短くも楽しい時間でした。
そこの店でも、車で避難中に津波にのまれて一度は死を意識したが、流れ着いたタイヤにつかまり、
漁船に助けられた30代の店のおにいさんの体験談を傾聴。

そして東北の人の芯の強さと人なつこさに敬服。(すごいなー。)

ホテルで初めてシャワーをあびて熟睡。


村上チーム報告その2

翌4月9日は6時にロビー集合、JMAT岡山チーム村上活動開始。

まずは前任者からの申し送りの薬剤を石巻日赤に受け取りに向かう。
仙台では開いていなかったガソリンスタンドが石巻では開いている。
ここで車を満タンにし予備のタンク5本も各10Lずつ満たす。

しかしこれが今後我々の車での移動を不快なものにし、後部座席のわたしには頭痛の原因になり、
なんどかロキソニンのお世話になることとなる。

ひとつのタンクのゴムパッキンがたわんでいて、
地震のために出来たでこぼこを超えるたびに少しずつ漏れて揮発していたのだ。
ビニール袋に入れるぐらいではガソリンの揮発力を阻止することはできなかった。

第7エリア最大の非難所である湊小学校に向かう。

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道はすでに通行可能な状態になっているが、途中大きな漁船が道をふさいでいたり、
なにも残っていない中州に唯一石の森美術館が傾いて立っていたり、
橋と道との境では大きな段差があり名ドライバー武蔵さんの腕をもってしても車は大きくバウンドする。

ナビを使って8時30分に湊小学校に到着。校庭は雨のために泥状で、
どぶ川と磯の香りの入り混じった悪臭がただよう。

4階建ての小学校は耐震構造で堅牢に立っていた。
各教室の窓際の手すりにはタオルが干してあり、玄関横には仮設トイレ、
瓦礫の横には自衛隊の車両が並び、プールの中には大きなバンがそのまま鎮座し、
傾いたセダンには余震による転倒予防につっかえ棒が処置されている。

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震災1ヵ月の時点で電気も水道も復旧せず、ここでは200人が非難所生活を送っているとのこと。
本部と救護室は2階にあるが、1階の廊下は津波で窓ガラスはなく、青いビニールシートで覆ってある。
その中を若い被災者の人たちが援助物資をリレーで運びいれていた。

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9時から朝のミーティング、その後9時半から12時までが救護室での診察となっている。

各日赤チームは、よく見る統一された緊急ジャケット、
各医師会も医師、薬剤師、看護師などのゼッケンを着けているが、
われわれだけは自前の白衣に“JMATおかやま”のネームカードのみでした。

諸国先生の示唆がなければ、普段着のままの診察になるところでした。
家庭科室の7つの机のうち、入口のカルテ整理用と薬剤倉庫近い机は非難所の備蓄薬用に使われ、
残り5つでそれぞれのチームが診療を始める。

感冒症状、咳、腹痛の症状と、今までもらっていた薬の継続投与の希望の患者である。
初日は午前中で6人だけ、少し拍子抜けのところもあるが、6チームが入っており一人に10分から20分、
時に自らの津波体験を傾聴することもあり、話を聞いて薬を処方するまで30分近くかかることもある。

薬は自参した自分達の手持ちで補うのが原則であるが、
なければ他のチームに声かけして廻してもらったり、備蓄薬剤から取り出す。
前任者から備蓄薬剤の整理を任された武蔵さんがここでも活躍し、あいている時間に一覧表を作ってくれた。

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11時を回ったころ、高畠さんがANAのキャビンアテンダントからことづかった
幼児用の機内グッズを配りに行くというので同行させてもらった。

非難所生活はTVで垣間見ていたが、
教室の隅に各家庭や個人が硬い床に薄い敷き毛布ひき、中には横になっている人もいる。
2歳ぐらいの小さな子供は、見知らぬ白衣姿のおねえさんにおびえてしまうし、意外と子供の姿が少ない。

2階奥の図書室が援助物資の置き場になっていたりしていたが、
そこでお母さんの一人に手渡すことができたけど、
話しているうちに泣かれてしまった、と高畑さんから後で聞いた。

昼からはガソリン臭付きハイエースで、川沿い15分ほどの稲井小学校と稲井公民館へ。
出発時湊小学校の校庭で、海外の屈強なボランティアが校庭の泥とがれきを一輪車で運びだしている。

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しょぼ降る雨の中、小学校の校庭に止めたハイエースの中でパンとビダーインゼリーで昼食をすます。

体育館の中を3分の1ほどに区切って、
壁際に体育のマットの上に毛布を敷いて横になっている10人ほどの人に声をかけていく。
最初はどうしていいのか分からず、“岡山から来た医療ボランチィアのものですが、
何か体調の気になるところはないですか”と寝ている人に声をかけていく。

真っ先に手を挙げてくれたおばあちゃんは、
炊き出しのカレーを悪いと思って全部食べたらおなかを壊してしまったと言われる。

その後も動くときに胸が痛いとか、血圧が高いとか、診療もだが話を聞いてほしいのだと感じる。
(もちろんそのために来ています。)自分からは訴えられないが、
毛布に膝をついて尋ねれば不眠だとか咳とか何かしらの不調を言われて、
ここでは8人の方々に処方をさせていただく。
それぞれの非難所にはファイルされたカルテがあり、以前出した処方が分かる。

週刊ポストの記者のインタビューを受けるが、診察時の写真は避難者のおじさんが強い口調で拒否されていた。

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次に向かった公民館は80人が非難されている。

援助物資の段ボールが山積みになっているロビーのソファとテーブルを使って診察を始める。
咳(特に夜間)と高血圧の方が多い。塩分の多い食事のせいだろうか。花粉症の人も結構いる。
わたしも岡山では小青竜湯で気にならなかったが、
宇都宮あたりからくしゃみ鼻水の花粉症の症状が出現していた。

明日は親族の火葬があるから、
公民館の受付に今日受け取れない薬を預けておいてほしいといわれる中高齢の親子もいる。

われわれの在庫にないと、長期処方薬は処方を帰ってから日赤に提出すれば、
あとで各非難所に届けてくれることになっている。

その隊名はメロンパン部隊といい、武蔵さんの聞きづてでは、
その名の由来は当地でも配達パン屋さんがメロンパンの看板を掲げているからだそうだ。

4時半近くに本日の活動を終え、日赤に着いたのは5時半近くだった。
その日の活動日誌と非難所の環境アセスメントシートを高畠さんがまとめてくれて、
夕方のミーティングの集合場所である循環器内科の外来の待合ソファで待機しているときに
少し大きな地震に遭遇。

最初の下から突き上げられる縦揺れと20秒近く続く横揺れを感じる。
それぐらいではあわてる人はここにはいない。

すべての活動を終え、仙台に向かう。
バウンドの度にガソリン臭が強くなる車内の空気を凍える想いで入れ替えながら。
といっても後部座席は渦流が漂うだけでしたが。援助薬剤のロキソニン1錠拝借。

北陸道はすでに全線開通しており仙台東インターで降り、
たまたま前チームがドアーボックスに入れておいてくれたサービス券の使える野菜ラーメンが売りの
ラーメン屋を見つける。

これもたまたまであるが、落語好きでラーメン通の3足の草鞋ドライバー武蔵さんが、
岡山の富士山級の野菜大盛りラーメン店の紹介話で車内を盛り上げてくれた後だったので、
迷わず野菜ラーメンの幟にすいこまれて入ったのは無理からぬところでした。

実際入ってみると提供出来る品は限られていて、
野菜は入手困難のためか野菜ラーメンは食べられませんでしたが。

そこまでは前チームの申し送りコメントにはなかったのは当然か。
その日はそのままシャワーもせずに朝まで熟睡。

 


村上チームからの報告

JMATおかやま-村上チーム:村上先生からの報告です
村上チームの予定は、4月8日~4月12日です

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最初はわたしのJMAT参加に難色を示されていた病院TOPも心よく送り出してくれ、
職員の方の有形無形の援助、なによりもMM薬局の松浦社長の内服薬の無償提供に感謝します。

この多めに提供された内服薬がなければJMAT岡山の活動は不可能でした。

4月8日:朝6時に家族の声援を受けて、7:50の羽田行き飛行機に搭乗すべく岡山空港に行く。

途中のコンビニでおむすびとパンを調達した。
空港で今回のチームメンバーと自己紹介をし合い、松山理事達に見送りをいただきいざ出発。

何ができるのか、どうすればいいのかも全く分からなかったが、
医師会のブログの状況報告や諸国先生の電話での示唆により、
おぼろげながら現地での状況を想像できありがたかったです。

飛行機のなかで、キャビンアテンダントがわれわれボランティアへのメッセージカードと
子供たちへの機内用プレゼントをしこたま持たせてくれる。
“宮城には知り合いがいて、義援金は送ったけどとても気になっている。
ボランティアでいかれるとお聞きしました。
そのような方々を運ばせていただけて光栄です”とまで言ってくれる。

何ができるかも分からないに、恐縮すると同時にやる気と使命感がふつふつともえあがってくる。

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羽田に着き、両備が用意してくれた快適なワゴン車に乗り、一路石巻へ。
先がまだ歪んでいる東京タワーや建設中のスカイタワーを横目に見ながら快適に過ごす。
2時間おきにドライバー交代があり、昼は宇都宮サービスエリアで、その後国見SAで休憩をはさみ、
前日の地震で通行止めになっている北陸道を迂回すべく松島で高速を下りる。
一般道を経て石巻赤十字病院へは4時前に到着。高速道から見える石巻は土煙で白く煙って見えた。

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病院の前には空気テントが張られているがその時点での使用はもはやされていなかった。

2階の医療救援本部でボランティア参加の申し込みと簡単なブリーフィングを受け、
あとは同じ階の職員食堂で5時半ごろまで待機。

各救護班が続々と1日の任務を終えて帰ってきて、それぞれが問題の洗い直しをしているのを横目で見て過ごす。

その奥の一角が院内保育のスペースになっており、
小さな子供が無邪気に各救援隊のユニホームの間をちょろちょろしている。

未来はきみたちにかかっているのだぞ。きっと険しい再建の道のりだろうが。

前任者の田辺先生に申し送りを受け、
外来待合にて6時半ごろからの旧北上川北側第7エリアの夕方のミ-ティングに参加する。

昨日の地震で橋がひとつ落ち、非難所の状況が変わっているかも知れないので
各避難所のアセスメントを提出することと、
DMとワーファリン使用患者の把握のためのピックアップが申し伝えられた。

その後、荷物の詰め替えを終えて先発隊は快適なワゴンで任務を終了し帰京。

われわれはハイエースで仙台を目指す。
当初全員シュラフを用意し、避難者と同じ境遇に身を置こうと思っていたのだが、
日赤内ではすでに宿泊は禁止されており、
自己完結型を目指す救援隊は自分達の宿を用意することになっていた。

折角始めてシュラフを買って意気込みだけは強かったのだが、
1時間以上もかかる仙台のホテルに行くことになる。

仙台北インターと東インターの間は昨日の地震で通行止めになっており、
北インターでおり一般道をナビどおりにホテルに向かう。
現代文明のナビゲーションシステムは故障しない限り、重い地図帳は無用の産物となってしまった。

申し送りでガソリンが残り少ないことを聞いていたが、
前日の地震による停電で仙台市内のガソリンスタンドは軒並みしまっており、
一軒だけ開いていたスタンドも長蛇の列であった。

ホテルには着いたがその後薬剤師兼事務兼ドライバーの武蔵さんは10時半まで各所と連絡を取り合い、
結局は10Lの予備タンクがあることが分かって一時的な解決を得たが、
予備タンクの空気穴に気付くまで高畠さんも遅くまでつきあっていたことを翌朝聞いた。

わたしは高畠さんが近所のローソンで調達してくれたおでんと朝のおむすびの残りで食事をすませて、
10時には風呂にも入らずに眠ってしまった。

途中何度も目が覚めたのは、翌日からのボランティアに気が高ぶっていたせいだろうか。



水島協同病院からの報告

JMATおかやま-水島協同病院からの報告です

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水島協同病院では第2次医療支援として
職員5名(医師1名、看護師2名、放射線技師1名、事務1名)を
宮城県に派遣しました。

活動期間:4月5日(火)から4月10日(日)、現地での活動は実質4日間

活動地域:宮城県塩釜市、多賀城市

活動内容:

医師 :活動拠点としている坂総合病院での診療および避難所での診療
看護師 :避難所での診療
放射線技師:地域訪問、被災施設の片付けや避難所での支援
事務 :地元スタッフとともに災害対策本部の業務を担当

参加者の感想:
・支援者の中に無意識に生じる傲慢さ。
「あなたのため」「誰かのため」ではなく「自分のために」、小さな事を一つずつ行うこと。
・4日間を通して、災害に遭われた方の援助に悩みました。
日々変わっていく援助者、被災者のニーズ、特に心のケアではどこまで話を聞いていいか、どう返せばいいか。
笑い話のように話される方もおられましたが、目はとても辛そうでした。
2-3日目でやっと信頼関係が出来たように感じます。
・足浴サービス。「気持ちいい」の言葉をはげみに。
・大災害。来る前は何か出来ることはないか?その思いが強かった。来てみてそれは、驕りだったと。
安否確認・足浴・炊飯・復興作業。いつも『ありがとう』と言われ気付かされた、つながることの意味。
連帯の大切さ、人間賛歌を教えてくれた。感謝はこちらから。
復興は物心支え合う仲間と共に進めましょう。

最後に坂総合病院の災害対策本部にあったポスターを御紹介します。

                総合病院水島協同病院医師 原田幸枝

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東日本大震災被災者の心に寄り添います

3月19日付け沖縄タイムズで下記の記事に目が釘付けになりました。
簡単に紹介します。自宅を亡くした40歳代の女性の被災地からの声です。
「私たちは他人の幸せや喜びをねたむほど落ちぶれてはいない。
皆さんどうぞ、我慢せずに楽しいときは笑い、嬉しいときは喜んでください。
私たちも一日も早く皆さんに追いつきます」

私は一瞬言葉を失い、そして感動に包まれました。
私たちはよく「勇気を与えたい」「感動を送りたい」といって色々な励ましのメッセージを送りますが、
しかし、その女性の力強い声の前には何と軽々しくうつろに響く事でしょう。
復興に立ち向かう被災地の人々から勇気づけられたり、
元気をもらっているのは他ならぬ被災にあわなかった私たちなのだと改めて感じました。
道端で力強く咲くタンポポなど、野草を描いてみました。
復興に立ち向かう被災者の皆さんへのわたしからのささやかなエールです。

2011年3月23日 上原和博

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沖縄県医師会員の上原和博先生の記事だそうです




田辺チームからの報告その2

JMATおかやま 田辺チーム:家高さんからの活動報告です

<4月5日(火)>
岡山空港にてメンバーが全員で顔合わせ。

羽田空港からは陸路にて石巻市に移動。460キロあるのでドライバーは二人。
交代で運転。石巻市に近づくにつれて道路の状況が悪化していく。

石巻赤十字病院に到着すると、諸国眞太郎チームと顔合わせ。
金田崇文氏・田村龍司氏から引継ぎ。

湊小学校までハイエースにて移動・移動中は想像を絶する状況で絶句。
デジカメによる記録も被災者の心情を考慮して行う。

ボランティア活動の心構えを指導される。
石巻日赤に戻って、ボランティア活動のエントリーを行う。
夕方のミーティングに参加。

ミーティング終了後、仙台市の杜のホテル仙台に向け出発。高速道路は緊急車両のため無料。
ひどい渋滞でホテル到着まで1時間半以上かかる。
ホテルではお湯が使用できず風呂は使用できない。

<4月6日(水)>
朝5時30分に集合し、石巻赤十宇病院に出発。
7時からのミーティングに参加。

ミーティングにて他エリアの状況説明、本日の活動が指示される。湊小学校に向け出発。

道路は慢性的に渋滞。がれきのため道幅がせまいところも多い。運転には注意を要する。

湊小学校に到着。家庭科室を借りて、診療を行う。
前のチームが残していった薬と自分たちが持ってきた薬にて調剤を行う。
薬を探すのに手間がかかり、効率の悪い状況。薬効分類をして薬のリストを作成する必要あり。

昼食は自分たちで用意したカロリーメイト、パンなどですます。

午後の診療開始。前のチームが残していった薬の数を記録しつつ、調剤も行う。
薬の数はだいたい把握できた。夕方のミーティングに出席するために石巻赤十字病院に向かう。

夕方のミーティングにて避難所の状況説明、歯科診療の必要性の有無、
がれきによるケガからの破傷風の可能性、トキソイドの準備状況など。

ミーティング終了後、仙台市内のホテルに向かう。
高速道路は慢性的に渋滞あり。高速を降りると問題なくホテルに到着。
堀淵浩二氏は持参のパソコンにて医薬品リスト作成。

<4月7日(木)>
朝6時に集合し、石巻赤十字病院に向かう。ミーティングに参加。

午前は湊小学校にて診療、午後は梅渓寺にて診療指示あり。
ミーティング終了後、湊小学校に向かう。引き続き道路は渋滞。湊小学校に到着。

医薬品リストは他チームに配布。診療開始。
できれば午前の薬使用量を確認して現在の在庫数から減数する作業が必要だが、そこまで手がまわらない。

昼食は引き続きカロリーメイト・パンなど。

梅渓寺に向かう。引き続き道路は渋滞、ほこりがまっているのでのどの痛みを感じる。

細い山道を登っていき梅渓寺に到着。
住職の話によると重症の被災者は他の避難所に移動され、他の被災者は自分の家のかたづけに行っている。
医療ニーズはなく、石巻赤十宇病院に戻ることになった。

夕方のミーティングに出席。他チームの状況を聞く。
ワーファリンの代わりにプラザキサを使用する可能性あり。
子供・老人の心身のケア・感染症の状況が報告された。

ミーティング終了後、仙台のホテルに向かう。高速道路は渋滞あり、仙台に近づくにつれて渋滞解消。
仙台の一般道は渋滞なし。ホテルに到着して解散。

夜半に地震あり。震度6強。停電して携帯の充電もできず、就寝。田辺医師が安否を心配して来られる。

<4月8日(金)>
6時30分に集合して石巻赤十字病院に向かう。

停電で信号は消えている。一般道でも渋滞ひどい。
高速道は通行禁止で一般道にて石巻赤十字病院に向かう。
3時間を費やして石巻赤十字病院に到着。湊小学校での活動予定は中止。石巻赤十字病院にて待機。

しばらくしてミーティング開始。午後の活動は稲井小学校・稲井公民館にて行う予定。
昼食を済ませてから、稲井小学校に向かう。比較的渋滞は少なく到着。診療開始。

感冒・不眠症の症状を訴える患者が非常に多い。稲井公民館に向かう、近いのですぐに到着。
感冒による咳、不眠症は多い。ワーファリン服用中の患者あり。手持ちの薬が3日分ある。
ワーファリンの在庫がなかったので、後続のチームに引き継ぐことに。

再び稲井小学校に戻り、診療。終了後石巻赤十字病院に向かう。
後続の岡山県チーム(村上茂樹チーム)と顔合わせ。引継ぎを行う。
武蔵仁氏に日誌の記入をお願いする。

<4月9日(土)> 帰岡山。

医師・看護師の見事な連携による診療・医療チーム間の情報交換・薬剤師の服薬指導・
いろいろな善意の助け合いが同じ方向・同じ気持ちで被災者を包み込むようなイメージで
被災者を支えていく活動に自分が少しでも貢献できたことは、この上ない経験となりました。

できれば1年後3年後5年後と宮城県が復興していく様子をこの目で確認したいと思います。

村上チームからの報告

岡山県薬剤師会 サンヨー薬局和気店 武蔵仁さんからの報告です

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活動期間 平成23年4月8日~4月12日

JMATおかやま(村上チーム)
チーム構成員 医師 村上茂樹 <おおもと病院>
       看護師 高畠文恵 <こころクリニック>
       薬剤師兼事務 武蔵仁 <サンヨー薬局>

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活動場所 宮城県石巻市

活動内容
一日目(4月8日金曜日)
<感想・出来事>
7日深夜のM7クラス余震の影響で仙台市内は停電があった。
そのためガソリンスタンドが全て閉鎖しており、ハイエースのガソリン残量がほとんど無くなる。
車内に携帯タンクを発見し、補給した。携帯タンクの必要性を感じたと同時に、
後続チームへの引き継ぎも必要と感じた。また石巻→仙台間の三陸自動車道が一部閉鎖しており、渋滞があった。

二日目(4月9日土曜日)
<感想・出来事>
実質活動初日。
担当エリア(エリア7)は最も津波被害の多かった石巻港近辺である様。

日赤病院から湊小までの行程で、被害の甚大さを目の当たりにする。

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震災一カ月経って尚この状況なら、直後はいかな状態だったのだろう。

湊小校庭に車を止めるが、雨の影響で地面はドロドロの状態。

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確かに防水の履物は必要か。電気・ガスは不通。
大規模避難所の湊小では、エリア7を担当する全てのチームが毎日午前の診療を担当する。
診療した6名は喉の痛みや咳が多い。
避難生活が長いためのストレスからか、粉塵の多いためか、また花粉症もありうる。
定期の薬が無くなると受診した方には、日赤への処方を依頼し、
後日別部隊(日赤の配達部隊)が避難所へもってくるとのこと。

湊小にある薬は先発チームがどうにか薬の分類をしているが、それでも雑然としている。

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リストも完全でなく、おかやまチームの事をしながら、湊小の薬の管理は大変な作業であった。
東京チームの薬剤師2名とともに今後の管理について検討する。
翌日までにリストの更新をすることとなった。

午後は各チームに分かれての避難所巡回診療。

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まずは30人規模の避難所である稲井小学校へ。
診察した8名は咳、喉の痛み、花粉症、下痢気味など。
常時飲んでいる鉄剤などの依頼があるも、おかやまチームとして在庫を持っておらず、
日赤への依頼、後日届けとなる。

次に80人規模の避難所、稲井公民館へ。水道不通。
診療した21名の多くはやはり夜間の咳が多い。どこの避難所も同じ様な薬の需要。
また高血圧の方も多い。インスリン使用者1名、ワーファリン服用者1名。
用意できないものは日赤への処方として対応。果たして何日後に届くのか?

おかやまチームとしての①咳止め、風邪薬②血圧薬③湿布が初日にてすでに不足状態に。
いかに対応すべきか?また、村上チームの薬剤リストはあるが、先発隊の残した薬剤のリストが無い状態。
本日中に全てを合わせたリスト作成が必要。

一日活動してみて、活動できる見通しがついた。車の運転も含めて。
しかし薬の管理や在庫について、課題が多い。すべき事は多々ある。

また、昨日難儀したガソリン問題も解決したものの、
携帯タンク5つ全てにガソリンを充填したためか車内にガソリン臭がひどい。

仙台に戻った後、チームおかやまの薬リストを作成し、
湊小のリスト更新、また箱に入れる表を作成。 就寝は1時。

自分にしかできない仕事。今やらなければいつできる!!

三日目(4月10日日曜日)
<感想・出来事>
日赤病院の地下薬局にて、湿布の不足を相談した所、otcの湿布は大量にあるので、
申請なしで持っていって可との事。湊小へのストック分も確保できた。

また湊小の薬在庫でかなりの量がある、降圧剤や鎮咳・去痰剤を頂く。
湊小では、診察室に来る方は少ないものの、避難部屋を巡回するとニーズはあった。
夜間の咳や痰がらみの要望が多い。また、眠りが浅く悪い夢ばかり見るから眠剤を望む方も。

4F巡回途中にチャイムが鳴る。一か月ぶりに電気が通ったとのこと。
学校中に歓声あり、目の前の避難者家族は目に涙を浮かべておられた。
また何度も岡山からの来訪をねぎらわれた。

午後は2件在宅訪問を行った。

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【1件目】:高齢女性。アンプタ1W後に震災津波に遭う。右足甲に5cm程度の褥創あり。
認知症あり。昨日ベッドより転落し、打撲したので診て欲しいとの息子よりの要請があった。
狭心症のため本来薬を飲んでいるが、この1週間WFなどの血栓予防薬を含め、
一切の薬を飲んでいない状態とのこと。
村上医師が日赤HPへ入院の必要ありと連絡するも、満床なのか在宅で様子見となる。
明日息子さんが日赤へ薬を取りに行く事になる。
家屋内は津波の爪痕が激しく、大柄な息子さんが母親を抱えて首まで水に浸かったとの事。
壮絶な体験をお伺いした。

【2件目】:85歳女性。DM・リウマチあり。家の片づけをしていてふらつきありとの事で診察要請あり。
BS247あり低血糖では無かった。血圧正常。今まで昼間は片づけをし、
夜は避難所や友人宅で過ごしていたらしい。
本人は疲れが出たのだろうと。本日より車で1時間半離れた娘の所に行くとの事。薬は無し。

湊小の薬の管理は今後の事も考えて、薬剤師の常駐が必要と考え、
宮城県薬剤師会からのボランティア人員を多摩チーム薬剤師が要請してくれた。
車内ガソリン臭の原因は、一つの携帯ガソリン缶の口部分ゴムの破損が判明。ビニールに包んで対応。

4日目(4月11日月曜日) 
<感想・出来事>
実質活動最終日。

湊小学校には宮城県薬剤師会からの薬剤師ボランティア2名が来てくれることになった。
今後は日赤への発注を含め、常駐薬剤師が管理を担当してくれるであろう。

稲井公民館での薬の需要は、やはり咳が多く、鎮咳薬、去痰剤、総合風邪薬は全ての在庫が無くなった。
2日前の日赤依頼分の薬剤は確かに届いており安心した。

小学生の娘とともに受診した母親と話した。
避難所の生活も一カ月になるので辛いでしょうと問いかけると、そうは思わない、
避難者同士が家族のような関係になって楽しい、家族が増えてうれしいとの事。

また公民館での診察中に、震災後一カ月の黙祷があった。
町中が黙祷したそうだ。目の前の患者さんから涙がこぼれていた。

稲井公民館への道中、危うく車と正面衝突しかけた。
信号が動いていない大きな道には警察がいて誘導してくれているが、小さな道では気をつけねばならない。

帰りは渋滞に巻き込まれ、後続チームとの引き継ぎも駆け足になってしまった。
事前にほぼ毎日後続チームの事務さんと連絡を取っていたので現状は報告していた。

5日目(4月12日火曜日)
 6:30 JALホテル出発
 7:50 羽田発
 9:10 岡山着
活動終了

<感想>
石巻最終日には、高台の公園から石巻港を見て、午後には車でそこを回った。
果たして何人生き延びる事ができたのだろうと思った。

私たちが石巻に滞在した数日の内にも、目に見えて復興が進んでいた。
医療ボランティア以外にも多くのボランティアが現地に入っていた。中には外国の方々もいらっしゃった。

自分はたまたま医療職であり現地に入っての活動ができた。

しかし決して現地に行けなくてもできる事があるように思う。

例えば、今回羽田と石巻の送迎をして下さっているハロートーキョーさんのように。
例えば、今回の派遣を手配して下さった医師会の皆さま、薬剤師会の皆さまのように。
例えば、今回の派遣を快く承諾してくれた会社や同僚のように。
例えば、頑張ってこいと言ってくれた友人や両親のように。

今回の私自身の活動に関わって下さった全員がボランティア活動をなさったのだと思う。
今後も復興のためにできることがあるなら、積極的に参加したい。


村上茂樹先生と高畠文恵看護師と同じチームで活動できた事を心より感謝いたします。


田辺チームからの報告

JMATおかやま第2陣の田辺チームからの報告を
テイオーファーマシー堀淵さんから詳細な報告を送って頂きました。

4月27日(水)19:30から被災地での活動報告会を行います。
送っていただきました詳細な報告はその時にお願いします。

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JMAT おかやま-田辺チーム 活動予定

●参加メンバー 4名  
  医師 1名、看護師1名、薬剤師2名(事務兼務)

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●活動予定期間  
  平成23年4月5日(火)~平成23年4月9(土) 4泊5日
●活動拠点  
  石巻赤十字病院 宮城県石巻市蛇田字西道下71番地

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石巻近辺になると、信じられないような光景が目の前に広がり、東日本大震災の恐ろしさを改めて知った。
津波による水害の有無により数km内でも復興具合、被害状況が全く異なっていた。

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<医療支援全体構造について>
ボランティアの受付後なによりも驚いたのは、石巻合同救護チーム本部が中心となり、大変秩序立った、
体系的且つ効率的システムが構築され冷静に安定に運用がなされていることであった。

3月11日に地震と津波被害が生じた後、全国から徐々にそれぞれの立場で医療支援チームが集まってきた。

当初あまりに被害が大きかったために、どの地域がどういう状態にあって、
どこにどういう人たちが避難しているのかさえ、全く把握できない状態が続いた。

1週間ほどの間に石巻市を中心とする地域(同一医療圏内)を14のエリアに分け、
長期に渡り、滞在できる状況のボランティアチームをリーダーとする組織構造が誕生した。

その後各チームの懸命な活動により、各エリアのどこに避難所があるか?など具体的な情報が集約されてきた。
避難所を診療の場所として、そこを巡回して医療を提供しながら
情報収集(ライフライン、医療ニーズ、衛生環境など)をあわせて行う方式をとり、
その結果を石巻合同救護チーム本部が集約して、掲示板に貼り出し
翌日以降の活動に役立てるシステムを作りだした。

<医療支援チームの一日>

7:00 チームリーダーは本部主催のミーティングに参加し情報交換
8:00 引き続きエリア7のミーティングに出席、当日の午前、午後の活動に関する分担を確認する。
9:00 湊小学校2階家庭科室へ集合。リーダーの指示により、指示された診療の場所に医薬品や診察器具を準備
9:30 診察開始
    来院した患者さんに事務担当職員が各チーム合同で分担して対応
    看護師も各チーム合同で分担して対応し、順次問診を行う。
   
11:30 診察終了、午後の活動についてリーダーより指示を受ける。
    各避難所に移動するために器材をまとめて撤収

12:00 休憩  エリア7内及び周囲には食事をとる場所はない。
       病院へ戻るか、車内で弁当などを食べることになる。
14:00 割り当てられた避難所に集合し診療開始。
   避難所ごとに状況が異なるため臨機応変に対応する。
    
*診療の他、避難所の衛生状態、トイレ、水道の有無、汲み取り、全体人数、受診人数、発熱者、
咳、嘔吐、下痢、インフルエンザ、呼吸器疾患、呼吸困難などの症状をもつ患者数の把握、
水・食事・電気・毛布・暖房の状況を把握し、情報をまとめることも大切な仕事。


16:00 診察終了撤収
18:00 チームリーダーは本部主催のミーティングに参加し、情報交換(14エリアすべて)
   引き続きエリア7のミーティングに出席、当日の午後の活動に関する報告
     
19:00 仙台市内のホテルへ移動
------------------------------ 
初日の何よりのポイントは、医療支援の全体構造の把握である。
即ち、運用ルール、提出物に作成方法と提出方法、そして活動場所の状況の把握である。

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印象深い症例としては、1ヶ月入浴できずに、足がひび割れ(とても大きい)た方、
認知症状+喘息悪化の懸念があり薬の管理が難しい患者さん
(結局、毎日家庭科室に足を運んでもらい薬を飲ませてあげた。)

歯科チーム(口腔外科)のニーズが高まりつつある。今後、歯科との連携も重要になると思われる。

湊小での診療。慢性疾患の需要がやや増加しているような印象。
また、薬棚と在庫表が完成しているので、調剤の効率が上がっている、さらに服薬指導も要領を得てきた段階、
薬剤師であることを名乗ると手持ち薬についてよく相談されるようになった。

2日目も、迅速な業務全般の流れを把握が重要なポイントであると感じた。
午前の診察は5チームで行うが午後は我々1チームであるため、
午前中に業務の流れをつかむことが要求されたのだ。

また、通常の業務と異なり、臨機応変な対応が求められる。同薬効への薬の変更など様々。
やはり、感染症、咳、発熱、呼吸器症状が多い。抗不安薬、睡眠薬などの需要は予想以上に少なかった。
JMAT(岡山)で約30名の患者を診察した。
慣れてくると調剤薬局と場所は異なるが、通常の受付、調剤、服薬指導の流れ。
厳密には、受付、アセスメント、バイタル採取、診療、カルテ作成、調剤、服薬指導の流れとなる。
 
犬(ペット)は心のケアにおいて大変重要な意味を持っていることを初めて知った。
この日サプライズで自衛隊「カムイ」によるサプライズ演奏。
エールを送るということの意味を初めて知った。
医療班、被災者皆総出で拍手で応じる。

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エコノミー症候群に加え、定期薬でワーファリンを服用している方も塞栓も大変懸念している。
弾性ストッキングは、本部に大量にストックしているので、是非利用して頂きたい。
今後、理学療法士とも連携して、スポットで巡回し指導を行う予定。
糖尿病患者の血糖コントロール不良も顕在化してきそう。環境の変化に、食生活の変化に適応できておらず、
放置している段階。インスリン注射も大きな問題だという認識。
こちらも、専門チームを組織してスポット巡回を考えているが、見通し不明。

4月8日(AM1:00~午前)
M7、震度6強 余震発生

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余震には本当に怖い思いをしましたが、本当に大切な経験だったと思います。

あんたぁ遠いところありがとうなぁ。
町がよくなったら、今度は遊びにおいでえよ。



なんと総括すればよいか、
果たして自分は被災者の方々に少しでも貢献することができたのか、未だに分からない。

ただ未曾有の大事態の中、そこには人として大変大事な根源的なところで被災者の方々も
ボランティアの方々も前に進もうとしていたのではないかと思う。

薬剤師という職能を鑑みた場合、或いは医療連携の側面から本ボランティア活動を捉えた場合、
薬剤師のニーズは確かにあり、医療連携は、薬剤師、事務、医師、看護師問わず自然と果たされていた。

今後取り組むべき要素が、災害現場においてはNeedsとして詰まっていたように思う。
そして何よりも大事な医療マインドも。

このような書き方は適切ではないかもしれないが、石巻日赤救護班全14エリアすべてのチームが格好良かった。

そして被災者の方々の前向きさにも。2万人の死者・行方不明者を出した1つの大事態ではなく、
1人の死者・行方不明者を出した事件が2万回起きたと考えると事の重大さがよく分かる、と、
北野武が述べていたが、医療は結局1人の患者をチームで看る行為であり、今回の診療同行を通じてその意味がようやく分かった気がする。

人生の中で大切な大切な経験であった。


諸國チーム

JMATおかやま(諸國チーム)

メンバー:諸國眞太郎医師、新山看護師、金田薬剤師、田村事務員の4人
活動期間:3月31日~4月6日(移動日含む)
活動場所:宮城県石巻市

湊小学校手前
(目的地までの車窓から)

石巻赤十字病院の救護班として、避難所の巡回診療を行った。
全国から集まった3~5チームで「湊小学校」を中心に、旧北上川東地区を担当。
(石巻市を14エリアにわけて救護班を編成)

湊小学校
(2階以上が避難所になっている「湊小学校」)

担当地区では、慢性疾患と風邪などの症状が多くみうけられた。
震災前に服用していた薬が、避難所ではそのニーズに応えきれなく、度々代替調剤することになる。
その際の患者さんへの薬剤師による服薬指導のニーズが高まってきていました。

津波で泥が堆積しているため埃がひどく、喉と目がやられる。

避難所は、電気、水道、ガスが復旧しておらず、給水車、仮設トイレで対応している。
衛生状態がよくない。


3月31日(木)

7:35岡山空港発、石巻赤十字病院に17:45到着し、ミーティングに参加

7:00と18:00に全体ミーティング、地域(エリア)ミーティングが行われ、毎日参加した。

ミーティング
(毎日のミーティング)

4月1日(金)

石巻赤十字病院救急(黄、黄緑)を高山日赤チーム(岐阜県)と診る

4月2日(土)

がんばらないで
(受付の案内:段ボールでのメッセージ)

  午前:「湊小学校」の2F家庭科室にて診察(担当地区で最大の300人の避難所)
     全エリア担当チームで対応する。

家庭科教室
(家庭科教室にて診察)

  午後:保健師から依頼があった在宅患者の往診を行う。

往診
(諸國先生の白衣姿に患者さん少し安心された様子)

4月3日(日)

  午前:湊小学校にて診察
  午後:「明有館」(90人避難)にて、2F居住スペースの一部を借りて診察を行う。
     別の居住区域にもお邪魔して、回診を行う。

4月4日(月)

  午前:湊小学校にて診察
  午後:「稲井公民館」(100人避難)にて、1Fロビースペースを借りて診察を行う。

稲井公民館
(稲井公民館)

4月5日(火)

  午前:湊小学校にて診察
  午後:後続チームとの引き継ぎをし、18:30石巻赤十字病院を後にする。

4月6日(水)

  9:05岡山空港着

帰岡

お疲れさまでした



「JMATおかやま」活動報告

「JMATおかやま」活動報告

第2班の江澤チームが3月31日で石巻市での活動を終了し、

第3班の諸國チームが3月31日朝7:35分に岡山空港を出発しました。
諸國チームは、諸國眞太郎先生、新山看護師、金田薬剤師、田村事務員の4人の構成でした。

初日は石巻赤十字病院で準夜勤で外来診療に従事したとのことです。
以後は避難所の巡回を行っているようです。

第4班の田辺チームが4月5日に出発しました。
チーム構成は田辺潤医師、寺下由香看護師、家高弘文、堀淵浩二薬剤師です。

第3班からの報告では薬剤師が貴重なようで、他のチームからの相談等がしばしばあるとのことです。

これからは、現地での活動が3日間の4泊5日の日程で順次派遣して行きます。

第5班は村上チームで、4月8日に出発予定です。今月中の派遣チームは決定しました。

                                 (報告 松山)

AMDA支援活動

*AMDA速報-東日本大震災・緊急支援活動
━━━・━━━・━━━・━━━・━━━・━━━・━━━・━━━

【 被災地からの活動報告 岩手県 】

避難所での診療、巡回診療を継続しており、
報告される主な症状としては高血圧、糖尿病などの慢性疾患や、
風邪、花粉症、胃腸炎、破傷風など。

また長引く避難所生活を、少しでも暮らしやすいものにしたいとの配慮から、
簡易のパーテーション(協力:坂茂建築設計)を体育館内に設置して、
家族同士のプライバシーの確保をできるようにした。

また、エコノミー症候群や寝たきりになることを防止するため、
トレーニングマシン・パワープレートを導入した。

一日50人近くの方が利用しているという。

【 被災地からの活動報告 宮城県南三陸町 】

AMDAが医療活動を行っている南三陸町の志津川小学校では、
250人ほどいた避難者が200人ほどに減少している。

電気が使えなかった避難所ではジェネレーターが2台届き、
ひとつの教室で電気が使えるようになった。

さらにノロウィルスの患者を隔離している部屋で電気が使えるように準備している。

避難所では、パニック症候群の避難者の方も見受けられ、精神的なケアを継続する必要性があり、
AMDAでは4月4日の第十九次派遣で精神科医師1人、看護師1人を追加派遣した。

ノロウィルス対策の強化もおこなっており、漂白剤などの物資を届けることを決定した。



岡山協立病院の支援NOW!その3

昨日(4月4日)に宮城県に派遣していた、
医師1人、看護師2人、放射線技師1人、事務2人が帰任しました。

医師、看護師は坂総合病院のERや避難所を担当しました。

放射線技師は地域訪問で、一軒、一軒、家をまわり、医療要求や困っていること等を聴取しました。
事務は、支援者全体のスケジュール管理や物品の管理など事務作業が主でした。

写真は、 避難所のひとつ 「多賀城文化センター」

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坂総合病院の近く、七が浜の建物の上の船

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避難所のひとつ「多賀城中学校」、どこかのコーラスでしょうか

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避難所では「血栓予防の足浴」などもしました

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次は、4月12日(火)~17日(日)の間、医師1人、看護師2人、事務2人 計5人を派遣します。



日本プライマリケア連合学会からの報告3

私が一番印象に残ったことは以下の2点でした。

①避難所に入る際にまず確認すること、
②支援をする場合は、きちんと支援する側が体制を作っておくことの大切さです。

①としては、まずその場所の避難所の本部の場所と責任者及び保健士さん、
医療者の導入内容を把握すること(+保健師さんの仕事量と保健師さんのサポート体制の把握も大切)。
バランスよくきちんと継続的な支援がきちんと入っていないと
ある部分に負担がかかり過ぎているところがありました。

②としては、基本的に超短期(2-3日)のみ支援するという団体が問題になることが多かったです。
急に行きたい、支援したい・支援し始めるといった言動・活動は現場を混乱させている状況がありました。
支援したいという申し出があるとその調整を行う為に現場の保健師さんなど
現地スタッフにすごく時間を取らせます。

医療者のサポートはある部分で現場で役に 立ってはいるのですが、
その調整の為にむしろ現地のスタッフの仕事を増やしてしまい、
調整の為にそれ以外の大切な仕事ができなくなっている状況がありました。

ある都道府県医師会経由でJMATとして送り込まれる部隊があったのですが、
情報の受け渡しが現地とうまく出来ていないために、
手を上げたもののどこで活動してよいか分からなくなり、
結局個人的なつながりを契機に私が調整を行った医療団が ありました。

その際に私が調整を担当した際に避難所の保健師さんに余計な時間をとらせてしまい
保健師さんの本来の仕事に影響がでてしまったことが大変心苦 しかった思いがありました。
病院単位で動くのではなく、小さな医療機関が手を上げて支援する方式になる県医師会レベルの支援というのは
支援に継続性が維持し難く、マネジメントの難しさを想像しました。

ご存知かと思いますが、現時点の災害のフェーズとしては亜急性期→慢性期のフェーズにあります。
現時点では多職種との連携を基本としたバランスのよい医療ス タッフの配置が必要と思いました。
現地への医師の導入は過少でも過剰でも良くなく、そしてその場所の行政
及び地域の医師会と連携して被災地の要望をきちんと理解した上での支援が必要であるように感じました。
急にやってきたイス○エル医師団が現地で混乱を引き起こし、
宮城県庁で働いている人材の手がそのためにとられる自体がありました。

私の報告は避難所の支援や自宅で往診に来てもらえなくなった方々の医療者の支援として
岡山県から現地にむかった日本プライマリケア学会からの派遣者という視点で
少しでも現地の声として受け取ってもらえれば幸いと思います。

当学会では、当初地元の医師会の復興をテーマに携帯電話を失った地元医師員達に携帯電話を配ったり、
検死・避難所外来・当直業務の代替など地元医師会の方々の日常業務サポート・負担軽減を主な業務として
支援を開始いたしました。

そして現在は、多職種(医師・栄養士・歯科医師/歯科衛生師・助産士・看護師)で
6ヶ月~年単位の長期的な支援を考えて活動しており、私たち岡山家庭医療センターは
今後も日本プライマリケア連合学会として被災地の支援を継続して行う予定としております。

・下記に地元を支援する際に私が必要と感じたものをあげました。
・寝袋・食材など生活用品など一般的なもの
・その土地で使える携帯電話
・ネット接続できるPC環境
・名刺:私は100枚以上消費しました。
・耳鏡:小児も診るのであれば要持参
・支援に入る場所の地図:地域を見ることとしては当然なのかもしれません。
・地域の方言集:あるかどうか分かりませんが(特に往診時に高齢者との会話で苦労しました。)
・往診する場合:在宅かばんセット一式 車にはカーナビが必須
・尿バルーンカテーテル(尿を溜める方のバッグは現地にありましたが患者さん側のバルーンカテーテルは
 不足していました。)タミフルが大量に余っているなど偏りはありますが薬剤は結構豊富にありました。
・カルテ用紙
・カルテ分類用クリアファイル(分類の仕方によって必要な数を準備)
・はさみ(以外といろんなところで必要でした。)

以上、長文となりましたが稚拙な文章失礼致しました。

ご無礼な報告大変申し訳ありません。

少しでも被災地及び岡山県医師会のお役に立てればと思いご報告させていただきました。

岡山家庭医療センターFPCO:エフピコ
(Family Practice Center of Okayama)
奈義ファミリークリニック・日本原病院 



日本プライマリケア連合学会からの報告2

○私の1週間の活動内容
・3月23日(水) 岡山→東京移動、東京本部にてプライマリケア学会本部でのブリーフィング。
・3月24日(木) 東京→岩手県藤沢町入り
・3月25日(金) 日中は、ケーウェブ(総合体育館)にて自治医科大学医師により業務説明、同施設の夜間当直
・3月26日(土) 日中は気仙沼小・中学校で外来・学校内の往診、気仙沼中学校の夜間当直
・3月27日(日) 気仙沼小・中学校での外来・学校内の往診
・3月28日(月) 気仙沼小・中学校での外来・学校内の往診+夜間当直
・3月29日(火) 在宅訪問2名/日(気仙沼市内、本吉町:市内から片道30分程度)
・3月30日(水) 後任者への気仙沼小・中学校・市民会館について引継ぎ。気仙沼市→仙台→東京への移動

最初は、これまで支援に先陣として入られていた先生方の業務を引き継ぐ形で業務に入りました。

ケーウェーブについては私が引き継ぐ時には既に日中の医療業務については
各種の医療機関からの派遣の先生方により運営が賄われている状態でした。

小児科・内科・外科・発熱外来と大きな病院のように医師についてはスタッフがそろっておりました。

私が行って行ったことは①カルテの導入と②女性のニーズ、③夜間の当直程度でした。

①については、本部より持ってきたカルテを導入し、ニーズに合わせて作り直したりしておりました。
最終的には外来を担当している医療者たちにより改訂され、より良いものが作られておりました。

②については、提案すると看護師さんや保健士さんが協力してくれ、男性医師にはなかなか相談し難いこと、
生理用品不足など相談する窓口の設置についてすぐに動いてくださいました。

③日中担当の医療スタッフは16時 に引き上げることもあり、
地元の医師の診療負担軽減目的にて夜間の当直を行いました。

夜間の対応については看護師さんからの相談や、発熱患者の対応が数件程度でした。
インフルエンザが疑われる高齢者とその娘に対してタミフル内服支持及び隔離をすることがありましたが、
日中担当の発熱外来担当の感染制医師が簡易なフローチャートを作成して看護師に支持してくれており、
またスペースが十分にある施設であった為に隔離も容易にでき特に困ることはありませんでした。

気仙沼小・中学校については、中学校の保健室で外来を行いました。
実際の診療については、風邪診療がメインでした。
夜間寝入った直後の咳嗽の問題が多かったです。

毛布などのホコリが原因ではと思っていましたが毛布を乾したりなども難しく
掃除をすることなど提案しましたがなかなか症状の改善までいたることは難しかったです。

外来に来られない方たちについては、保健士さんたちとの情報共有を行いながら
ハイリスク者をピックアップしていきました。
しかし、本当は地域に出て行くことや各種方面との連携をはかる保健士さんが不足しており、
避難所の人たちだけの把握も儘ならない状況でした。

徐々に保健士さんのサポートも入るようになり仕事の分担もできておりましたが、
やはり地域の支援としては行政のサポートも含めてバランスよくサポートすることが必要だと思いました。

往診では電気が使えないために、ベッドを起こすことができなくなり食事摂取に苦労されていたり、
アーマットが使えなくなって褥創ができたり、ヘルパーステーションが流された為、
毎日入っていたヘルパーさん達が来れなくなったりして
介護負担が主介護者1人にかかっている状況がみられました。

また土地感もないため家に行くのにも苦労しました。
たまたま他の組織の方につれていってもらい往診をしたのですが、
(贅沢かもしれないですが)カー ナビがない車でしたので市外の家だとたどり着くのは
時間がかかってしまいました。

市街地であれば住民から情報が得られやすいのですが、
市外であるとたまに すれ違った人たちも他の地域からの避難者であったりもして
情報がうまく得られず家にたどり着くのに大変苦労しました。

往診車はカーナビは必須と思いました。


日本プライマリケア連合学会からの報告1

日本プライマリケア連合学会からの派遣で現地に行かれた
岡山家庭医療センター(奈義ファミリークリニック)チームからの現地活動状況です

東北(主に宮城県気仙沼市)に3月23-30日の期間にいかれた先生からです

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私は3月24-30日に気仙沼市の支援に行って来ました。
仕事は、主にケーウェーブ(総合体育館)、気仙沼小・中学校の外来・当直業務を担当させていただきました。
未熟者ですが、家庭医後期研修をH23.3に終えるものとして派遣感想も含め
少しでもお役に立てればと思い報告させていただきました。

○状況(3/30までの状況)

気仙沼市の概要(3/24):
ゆっくりですがライフラインの復旧もあり徐々に避難者数・避難所は減ってきております。
1週間前の報告では避難者数18000人、避難所120箇所であったのですがそれが、
避難者数約15000人、避難所100箇所と若干減ってきています。

ケーウェーブ(総合体育館):
約1000人、気仙沼小・中学校:
あわせて1000人弱ライフライン:市内の家では徐々に電気は通りつつあるようです。
ガスはプロパンガス使用しているところも多く少しずつ使っているようです。
水道は避難所では使えるところはありますが個々の家ではまだまだです。

食事:
2-3食/日。炭水化物中心。蛋白不足・栄養の偏りあり。

疾患:
風邪・インフルエンザ・花粉症・肺炎・各種の筋骨格系の痛み
(食事配給のために階段や坂道利用増加及び不十分な休養に起因するものか)などでした。

ここ最近、高齢者を中心に肺炎が増えている様子があります。

地元医療機関では何らかかの物質由来を疑って検索しているようですが、
私共としては心理的スト レス・口腔ケア不十分・食事摂取時の状態の問題・低栄養に起因する
個人の免疫力低下+ウイルス感染後の感染後でさらに弱っている状態に細菌感染が加わった
誤嚥性肺炎などが疑わしいと考えております。

気仙沼市では医師については飽和状態にありました。

江澤理事報告13

<あったか~い避難所生活>

避難所で感じたことです。

私が入り口の扉から入ろうとした時に、
前の方が扉が閉まらないように優しく配慮してくださいました。

よく見ると、皆さんが自然とそのように振舞っています。

ある避難所で、テレビを立って見ていると、
どうぞどうそと椅子へ座るように案内してくださいました。

避難所も一定のコミニュティが形成され、
荒々しいやりとりも全くなく、落ち着いた環境です。

被災されてたいへんお辛い状況なのに、
皆さんの優しさや秩序ある行動に、本当に本当に感動しました。

まさに、頭が下がる思いです。

写真1・2は、当院の職員が一つ一つ作ってくれていた手製の「お守り」370個です。

<写真1>
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<写真2>
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中には、お手紙とお菓子が入っており、避難所でお配りしてきました。

昨日で当院の今回の任務は全て終了しました。

無事、車で帰ってきました。(写真3)

<写真3>
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全てに感謝の気持ちをささげたいと思います。

ありがとうございました。





江澤理事報告12

<女川の奇跡!!>

JMATとは別に、全国老人保健施設協会の関係で、
全国で唯一安否確認のとれていない女川町立の老健施設(町立病院併設)を訪れました。

女川も地震発生後25分で津波に襲われ、壊滅していました。(写真1)

<写真1>
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全て壊滅していて跡形もなく消え去っているのでは・・・ と道中内心不安な気持ちでいっぱいでした。

現地へ着くと、海抜16mの丘の上に病院と老健施設が存在していました。(写真2・3)

<写真2>
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<写真3>
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しかし、1階部分は、津波で壊滅していました。(写真4)

<写真4>
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海岸線から奥に200~300m入ったところに約20mの高さの津波が到達したことになります。

恐る恐る中に入ると、病院2階の入り口で臨時診療が行われ、
なんと、病院の患者さん、老健施設の利用者の方が全て無事ということが確認できました!

当日の老健施設の入所44名、通所8名のうち、独歩は2名であったが、
職員の手際良い対応で避難されたそうです。

しかも、自家発電機は6時間で途絶え、
4日間は、極寒の中ろうそくのみで過ごしたにもかかわらず、重症者が出ていません。

写真5は、発生初日に暗闇と寒さの中で利用者と職員が身を寄せ合って一晩過ごしたデイルームです。

<写真5>
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写真6は、施設からの眺めの風景ですが、海の向こうからとてつもない大きな津波が来るのが見えたそうです。

<写真6>
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想像を絶する恐ろしさです・・・

ちなみに、写真右下の茶色の建物には、ご当地出身の俳優歌手の中村雅俊さん記念館が入っているそうです。

震災発生後は、建物の倒壊も火災も見る限りなかったそうですが、全て津波で壊滅しました。

まだ、AUの携帯電話が通じるのみで、水道、ガス、通信全て使えず、電気も電源車に頼っている状況です。

トイレは、便器の中に防災毛布を包んでいる頑丈なアルミを下に敷き、
その上にオムツを置いて使用されるという工夫をされていました。

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地域住民からの避難も合わせ、最大700名が病院や老健にいらっしゃったそうです。

しかし、残念ながら、病院の1階で避難してきた4名の方が津波で亡くなられたそうです。

まさか、ここまで津波が来るとは想像されていなかったことと思います。

老健施設の通勤中の22歳の介護職の職員1名も亡くなられています。

心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

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