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伊木チームからの報告その4

<5月29日(日)>
がら空き状態の高速を兵庫県警のパトカーを引き連れ石巻へと向かう。

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極短時間のミーティングを終え、診療開始。

最終日は午前午後とも小学校内の仮設診療所で過ごす。
雨雲を伴った台風2号の影響で校庭はぬかるんでいる。
どろんこ遊びの日々がなつかしい。

ほっぺを赤らめた女の子が、親に連れられて受診。咳が止まらないという。
ここで子供を診るのは初めてだった。
注射をしようかとからかいながら、日赤版約束処方をきった。

昼食の時間を狙っておそるおそる体育館をのぞいてみた。
数人の若い自衛官が黙々と皿にパスタを盛っている。

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おそらく兵舎でも同じ食事なのだろう。炊き出しごくろうさまです。
思わずここでも声をかけてしまった。

お皿に山盛りのスパゲティーを見て、にんまりと男の子が笑った。
子供達はどんな思いでここにいるのか。

我々は彼らに何をしてやれるのか。
新入りのおかやまJMATを迎え入れた後、ミーティングより長い撮影会。
日本国旗にチームの思いを書き寄せる。

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<拡大>


いよいよ避難所とのお別れの時が来た。
足跡だらけの階段を今朝診た女の子が元気よく駆け下りていった。

また来るぞ石巻。元気になった姿をみせてくれ。



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伊木チームからの報告その3

<5月28日(土)>
朝から小雨模様。少し肌寒いので長袖シャツにウィンドブレーカーを羽織る。
次期支援診療所に統合予定のヤンマー支社を左手に、石巻大橋を渡ると、
むき出しの地面に車が揺さぶられた。

ここから先は別世界である。

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唐津日赤チームとの別れを惜しみ、沖縄日赤の医師と共にミーティング。
おかやまJMATは到着3日目にして古株となる。
午前中は予備日として(つまり、半日フリー) 被災地の巡視にむかう。

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高台にある日和山公園で港を一望し、あらためて自然災害の恐ろしさを認識する。

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偶然にも国土交通省のご一行と一緒になる。

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不幸な結果となった市民病院を視察の後、海岸通りを北上し女川まで足をのばす。
山間の漁村の現状に絶句。今度は海江田大臣の乗る官車に遭遇。警笛を鳴らされ道を譲る。

なんとここでデジカメを無くしてしまい、同乗者に不評をかう。

すみません。コンビニで昼食を済ませ、ふたたび湊小学校へ。
午後は避難所“ほたる”へ巡回。思わぬ歓待を受け、一同感涙。

午後のミーティングでは武蔵野医師会とのお別れ、個人的にもっとお近づきになりたかった。
一期一会の意味を知る。これで明日から沖縄と岡山の2チーム体制となる。

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伊木チームからの報告その2

<5月27日(金)>
渋滞を予測して仙台市内のホテルを6時前に出発。
湊小でのエリアミーティングには余裕をもって到着する事ができた。

校庭で朝の炊き出しに勤しむ自衛隊員に思わず声をかけてしまう。

午前中は3診体制での診療。

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3時間で8人の患者を診る。
定期処方の希望者や、気分不良者など。

しかし、彼らの今の問題は別の所にあるようだ。
来る人来る人堰を切ったように自信の体験談を話しはじめる。
専門的な助言や薬が欲しいわけではない、とにかく何かを伝えたいように思えた。
心のケアなどというのは簡単であるが、戦争を知らない世代にとって、被災地での生活は想像だにできない。
われわれに何ができるのか。まだまだ未熟者である。

現在では要介護の対象となるような高齢者はみかけない。
認知がすすんで困っている老人の話もあまり聞かない。
すでに他所へ疎開しているのだろうか。
午後はここから20分離れた稲山小学校への巡回診療。
生活の場となっている体育館へはいる。

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段ボールで仕切られて居るとは言え、大人の目線では居住スペースが丸見えとなる。

兵庫から来たという世話人に案内されながらそそくさと診療スペースへと移動する。
昨日こちらへ移動してきたばかりと言う老人とその家族を診る。

学校を終えた子供達が段ボールの我が家へ帰って来た。
午後4時前に診療を切り上げ、ミーティングに戻る。
一日の報告を終え、渋滞の続く帰路へ。

車中一息ついたところで石巻日赤からコールあり。
薬剤部から今朝書き送った処方箋についての相談。
曰く、ディオバン8mg錠がないから4mg錠2ヶでよいか?よいです。




伊木チームからの報告その1

伊木チームから報告を頂きました

*******************************

活動期間:MATおかやま(伊木チーム) 5月26日(木)〜5月29日(日)

メンバー:伊木勝道(医師)・大月麻美(看護師)・都築泉(薬剤師)・岸哲史(薬剤師)

<5月26日(木)>
羽田へ向け出発。東京からは車中の人となる。
宮城県にはいると、路面の不具合なのか縦揺れが激しくなる。おしりが痛い。

2回の休憩をはさんで約6時間のドライブを終了。石巻赤十字病院へ入る。

2階ボランティア本部にて登録を済ませ、ブリーフィングを受ける。

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「生活環境の悪い避難所は未だ点在している。早期の段階で避難、疎開を進めていれば、
現在の状況は変わっていたはず。内陸よりに新築された本院は辛うじて被災をまぬがれたが、
海沿いの市立病院は浸水してしまった。そのため震災以降全ての患者を診なければならなかった」 等々、
愚痴をまじえての説明であった。

行政側の対応が未だ十分とはいえない現在でも被災者へ医療を提供し続け、
さらに全国からの医療ボランティアに対してイニシアチブをとっているのはさすが。
日本赤十字社の面目躍如といったところか。

その後、拠点の湊小学校へとむかう。

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自衛隊員や警官達が、がれきの撤去や、交通整理にあたっている。

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電工掲示板が設置された校門をゆっくりと左折し、ようやく目的地にたどり着いた。
一瞬ヘドロ臭が鼻をついたが、すぐに慣れた。代わりに目が痛み、咳払いが多くなる。
自衛隊の救護車両が体育館前に陣取り、その対面にサーカス小屋のようなテントがはられている。
カメラを持った外人女性が、なにやら老人に話しかけている。はたしてここは戦場なのか。

遠藤チームのお迎えで16時30分のエリアミーティングへ参加。
家庭科教室を利用した診察室は大変よくできており、
パーティションをうまく利用して、4診体制となっている。
ここでは唐津日赤病院の派遣医師を中心として診療体制が維持されている。
外と違ってアットホームな雰囲気がした。

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清水チームからの報告その5

5月21日(5日目)
07:40 ホテル出発
8:50羽田空港出発
10:50 岡山空港着
11:20 解散

もともと仮眠と伺っていたのですがぐっすり睡眠がとれました。
どこでもすぐに深い眠りが得られてしかも目覚めがいいのは他人に誇れる特技だと思っています。

この日は今まで完璧な仕事をみせていた田邉くんがついにスイッチオフ状態に。
やや肉体を酷使しましたが余裕を持って移動していたため大きな問題にはならず岡山空港に到着。

土曜にもかかわらず県医師会の方がわざわざ出迎えてくださいました。

まだまだ問題の山積した状況を肌で感じ、とても「いい経験でした」とは締めくくれません。

周囲の環境が許してくれるのであれば再び戻って微力ながら力を尽くしたいと思います。
これから現地に赴く医療班のみなさま、表面的な活動は難しいものではありませんが
少し奥をのぞくと深く底の見えない溝がいたるところに存在します。

ぎりぎりのところでバランスの保たれている被災者の方々の気持ちにも配慮しながら
「被災地体験」にだけは決してならないようにお願いいたします。

                         清水内科医院  清水 孝一


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清水チームからの報告その4

5月20日(4日目
06:00 ホテル出発
08:00 湊小学校到着
08:30 エリアミーティング
09:00~12:00 湊小学校(救護室)での診療
14:00~16:00 稲井公民館、稲井小学校での巡回診療
16:30 エリアミーティング
19:00 湊小学校出発/岐路に就く
24:30 ホテル到着後に就寝

今日は2日目の教訓から少し出発を遅らせました。
毎日渋滞をなんとか乗り越えながら片道2時間弱の移動。

田邉くんにはスタッフ一同ほんとうに感謝しています。
彼は医療従事者ではないことから「何もできなくてすみません」といつも低姿勢でしたが胸を張ってください。
医療に専念できたのはまさに彼の縁の下の支えのおかげです。

その田邉くんと毎朝の日課となった早朝のゆで卵タイム。やはりおいしい!!

エリアミーティングはこのあと起こる出来事を感じさせないほど穏やかでしたが、
リーダーの日赤班と関東の医療班が午前中で撤収することが告げられました。
現場ではよく起こることのようですが岡山県医師会の班が4日目にして一番の古株に・・・。

そして診療が開始されてしばらくしてから事件が・・・。

患者さんの残る診察室に新たな医療班が数人のマスコミを連れて突然の登場!!
待合の患者さんを隅に押しやる音声さん、
スタッフの動きを明らかに邪魔する「撮影にいいポジション」での申し送り。
撮影を中断しても診療室に居座ったままのマスコミの方に隅に押しやられてしまっている患者さんに
とりあえず失礼をお詫びしてから、マスコミを引き連れて新たに来られた医療班の先生と
お話をさせていただきました。
ただ先生方はすごくいい方々で、意見申し上げているこちらが申し訳なくなるほど。
そこにはいろんな力が働いているのでしょうか・・・。

マスコミの方々は密着取材をするつもりで来ていたようですが、
そこに被災者の心情はあまり考慮されていなかったようで、
巡回診療の撮影は避難所の方々の許可が必要であることを説明すると、
「現場に行ってダメなら撮らない。それでいいでしょう。」との返事が・・・。

ここ2ヶ月でやっと築きあげてきた医療班と避難所の関係を根底から崩しかねない言動に
いささかムッとしながら、まずは先方に確認してみると、
やはり避難所によっては撮影を遠慮してくださいとの回答がありました。

その中でもきちんと被災者に配慮してくれるならと許可してくださった避難所の巡回診療に
同行していただきました。

そこは受診者が少なくなってきているからとの申し送りがあった避難所だったのですが
ふたを開けてみると患者さんがどっと来られ、新たに来られた先生方に手伝っていただいても
時間をはるかにオーバーしてしまう事態に・・・。

その節は新たに来られた先生方に大変お世話になり、
若輩者が失礼にも意見申し上げ大変申し訳ございませんでした・・・(反省)。

そんなこともあり、次に予定されていた避難所に到着したのは到着予定時間に遅れること1時間半。

避難所のリーダーはそれでも暖かく迎えてくださいました。
避難所は広い体育館内で、パテーションによって仕切られた家族単位のブースが多数用意されており、
すべてのブースを個別にまわって話を伺いました。
とはいえ日中は仕事や被災家屋に出掛けられている方が多く実際に避難所におられた方は半分程度。
みなさんとても好意的に迎えてくださり急ぎ足ではありましたが満足いく診療ができたと思います。

そして最後のブースには・・・。
前日ホテルへの帰路で路肩に転倒しているのを地元の救急隊や警察と協力して対応させていただいた
被災者の方が元気に挨拶してくれました。
心配して立ち止まってくださった地元の方々や、最初はいぶかしがっていた救急隊員の方々も
時間を経るにしたがって「これも何かの縁ですね」といろいろ話してくださって、
ごくごく小さなことですが医療班としての活動の枠を超えたところで
その場に生活されている方の役に立てたこと、
負傷者をみつけて迷いなく指示に従って動いてくれたメンバーを誇りに思います。

そして方言を8割以上聞き分けた自分の耳を誉めてあげたいと思います。

関東から来られた先生方の助けもあってなんとか巡回診療を終え、
夕方のエリアミーティングには間に合いました。

朝からわかっていたことですがこのエリア7ではこの段階で岡山県医師会が最も古株。
システムが確立せず、問題点が山積しているのに解決しないのは、
この入れ替わりの激しさが関係しているのだなと感じました。

後続の岡山県医師会医療班はすでに到着しており、挨拶もそこそこに申し送りを開始。
予想通り薬剤師さんの申し送りが大変そうでした。

そして現地を後にする時がやってきます。

後続の班の方々にゆで卵がおいしいことを繰り返し熱くお伝えして、迎えの車に乗り込みました。
今日はみんなぐったりです。
バタバタしたこともありますがやはり緊張して表に出てこなかった疲れがあったんだと思います。
ただもう数日いれば体も慣れてもっといい仕事ができたのにと、
さっきまで乗っていた足回りのかたいハイエースと比べて明らかに快適な送迎車のシートに深く腰掛けて、
窓の外に流れる到着したときより明らかに片付いていく瓦礫の山をみながら感じました。

ここで記憶はいったん途絶えます。

最初の数分は楽しく話していたはずが・・・・。
ハロートウキョウのスタッフの方々本当にありがとうございました。

羽田近くのホテルに送り届けていただき、まだ寝ぼけて若干足元のおぼつかないメンバーもいましたが、
なんとか問題なくチェックインしそのままベッドにドーーン!!おやすみなさい 





清水チームからの報告その3

5月19日(3日目)
07:30 ホテル出発
11:45~16:00 石巻ロイヤル病院に開設されたSSBでの診療
16:30 エリアミーティング
20:00 ホテル到着/夕食後に就寝

本日は中日ということもあり朝は比較的ゆっくりと休ませていただいて、
女川方面を回って石巻ロイヤル病院に間借りして設置されている
ショートステイベース(SSB)での診療に向かいました。

やはりゆで卵がおいしい!!黄身の半熟具合といい濃厚な味といい、絶妙な塩加減といい、申し分なし!!
これで今日もがんばれそうです。

女川は活動拠点である湊小学校から車で30分程度。
ただし中国からの要人が来るためか道路の修復が至る所で行われておりそのたびに軽く渋滞。
内陸に入るとスーパーやコンビニも再開しており、水道も復旧していました。

またお店や道路わきにはいろんなところに「負けない」「がんばろう」の文字が掲げられていました。
ただ地盤が沈下したためかしばらく雨は降っていないにもかかわらず側溝のまわりには水溜りができていました。

内陸から海岸線に向けて車を進めると峠を越えて下るあたりからまちの表情が一変。
土台から根こそぎ住宅がなくなっており、4階建てのビルが倒れて横たわり、
ビルの屋上には数台の車が乗っていました。

目的地であった女川町立病院は高台の上にあるにもかかわらず1階が被災しており、
おそらくは15m近い津波が押し寄せたものと思われます。

眼下では自衛隊員が瓦礫の撤去に奔走されていました。まさに奮闘です。
同行していた藤若さん(看護師)が「自衛隊かっこいい☆惚れてしまうかも☆☆」と言っていたのもわかる気がします。

申し送りの時間も考えて、12時より少し前に石巻ロイヤル病院に到着。
午前中は他エリアからの医療班が来られていて早速現在の状況について説明していただきました。

そもそもショートステイベース(SSB)とは、石巻赤十字病院に入院を依頼するほど重症度は高くないが
避難所での生活は難しいと判断される方に一時的に入所していただく施設として設置されたようです。

入所基準は一応存在するものの次々に変更が加えられ、実際は対応した医師の判断に委ねられていました。
施設は病院の倉庫として利用されていた病棟を借りて運営しているものの上下水道は通っておらず
食事も市から支給される簡易食(おにぎりとパン、ソーセージなど)という状況で、
医薬品は種類、量ともに限られ、検査機器もほとんどないという厳しい環境でした。

しかも20床と聞いていたうちベッドが存在するのは数床で、実際稼動していたのは3床のみでした。
石巻赤十字病院と現地病院の関係や連携の問題ですのであまり意見を挟むべきではないのですが、
下階には水洗トイレがあって医療設備が充実しているにもかかわらず、
階を隔てると衛生環境および医療環境の整っていない状況で、
患者を受け入れているのは大きな問題と感じました。

しかも医療班は半日交代で毎度違うメンバーが来るため、
定期検査を行わないまま加療が継続されており、現地スタッフもボランティアなので
簡易検査機器の存在も把握できていない状況でした。

ひとまず糖尿病の患者には空腹時血糖の測定とワーファリン使用の患者には
定期的なPT-INRの簡易検査器具による測定を指導しました。

また患者の基礎疾患や緊急連絡先、疾患の告知などもあいまいで、
可能な限りの病態の把握と今後の問題点について指導させていただきました。
ただこれは現地スタッフの怠慢ではなくてシステムが未構築であるために生じている問題で、
今後のSSBのあり方については十分な議論がなされるべきと思いました。

夕方が近くなりエリアミーティングに出席するためSSBを夜勤のスタッフにお任せして、
湊小学校への岐路に着きました。

やはり道路改修のための渋滞は解消されておらず、中国の要人来日が政府にとってどれだけ重要なのかを
感じ・・・これは長くなるので止めておきましょう。

なんとかエリアミーティングに間に合うように湊小学校に到着。

するとどうでしょう!校庭がきれいに片付いているではないですか!!やはり自衛隊はすごい!!
そして破壊された壁をブルーシートで覆った体育館から
少しデフォルメされたSMAP中居くん(ものまね)の声が・・・。

どうやら「わんわんサーカス」が来ていたみたいで楽しい笑い声が響いてきました。
すごく見たいけどミーティングが・・・。そこのところ冷静なスタッフに急かされて救護室へ・・・。
ちょっとくらいは・・・・(泣)。

SSBの問題点を本部ミーティングに挙げていただくことをお願いして明日の予定を確認。
ミーティングの最後に関東の医療班から「マスコミを連れて後続の医療班が来ますのでよろしく」
との発言が・・・。えっ!!波乱の予感。。。

本日もさっと切り替えてホテルへの岐路に着きました。

今朝、もしものためにたくさん買ったチョコレート、
あれだけ買いすぎじゃないですかと冷笑したにもかかわらず、みんなしっかり食べてるじゃないか!!



清水チームからの報告その2

5月18日(2日目)
05:45 ホテル出発
07:15 湊小学校到着
08:15 エリアミーティング
09:00~11:00 湊小学校(救護室)での診療
11:00~12:00 湊小学校内の部屋周り
14:00~16:00 石巻市民会館への巡回診療
16:30 エリアミーティング
19:10 ホテル到着/夕食後に就寝

エリアミーティングに遅れないように気合の早起きをしました。
吉田先生がしきりに言っていた「ゆでたまご」をホテルに用意してもらいましたが、
これが予想をはるかに超えて美味しかった。これは後続班にも伝えなければ・・・。

どうやら早く出ると渋滞はさほどでもなくあっさりと到着。
勇み足となってしまい1時間近く診察室の前でうろうろすることに・・・。
どうやら1階の「本部」に行けば入り口を開けてもらえたみたいで避難所の方に笑われてしまいました。

定時になりエリアミーティング開始。
前日の石巻日赤病院での全体ミーティングで話し合われたことや変更点などの報告を受け、本日の予定を確認。

午前中は湊小学校での診療でした。
日本赤十字病院からの派遣チームの先生は整形外科が専門であったため、
私は内科系の患者さんを診させていただきました。
患者さんは定期処方の継続と感冒症状(特に咳と鼻汁)を訴えられる方が中心で、
それに加えて不安を抱えた方やプライバシーの保たれない集団生活のストレスを訴えられる方もおられました。

この日の患者数は多くなかったため、11時頃よりまだ把握し切れていない小学校内の教室巡回を行いました。
発災より2ヶ月以上が過ぎているにもかかわらず拠点となっている避難所内のことさえ、
把握し切れていないところに現場がどれだけ混乱していたのかが容易に想像できます。

巡回内容は人数の詳細な把握とN95マスクの配布と使用方法、衛生面のチェックで、
現在問題となっている微細な粉塵の吸入による呼吸器疾患と、
これから梅雨を迎えるにあたって注意しなければならない食中毒(冷蔵庫は1階につき小さなものが1個のみ)に
ついても説明しながら回りました。

余剰食物や食べ残しの管理は的確になされており、
どうやら避難所および部屋ごとのリーダーがそのあたりは厳しく指導しているようでした。

すでに水道も復旧していたため手洗いもよくされており、トイレも清潔に保たれていました。

印象的だったのは私たちが部屋に入る際にまずは険しい顔で迎えられ、
「救護室の医療班です」と挨拶すると表情が一変して親しく話してくださるのは、
事前に情報として与えられていたように立ち退き要請に
しばしば行政の担当者が来ているのだろうなと感じました。

家や移動手段である車なども奪われ、しかも避難所の建設は遅れているにもかかわらず
立ち退きをほのめかす行政に対して避難されている方々が嫌悪感を覚えるのは
仕方ないことなのかなと感じました。

ただ避難所におられる被災者の数は日に日に減ってきているようで、
一部は仮設住宅への入所が決まったり、親戚の家にお世話になったり、県外に移住したり、
単身赴任で関東に働きに出られる方もおられました。

現状を見れば復興が長期にわたることが予想されることから地元に留まりたい思いは強いけれども
苦渋の選択をせざるを得ないようでした。

午後からは石巻市民会館への巡回診療を行いました。
周囲はやっと動線を確保できている状態で市民会館の駐車場には破壊された車がごろごろと転がっていました。
おそらく避難所に身を寄せておられる若い方々が瓦礫をよけて作った
わずかなスペースでサッカーボールを蹴って遊ばれていました。

市民会館の1階は半分以上の高さ(130㎝くらい)まで壁に津波の後が残され、
入り口にあった「災害時にも使える自動販売機」が見る影もなく破壊されている様を見て、
決して油断をしていたわけでなく防災意識の高い土地だったにもかかわらず
予想をはるかに超える災害に襲われたことが実感できました。

ここでの患者数は少なかったものの、水道が復旧していないため衛生環境は良好とは言えず、
便は新聞紙にくるんでゴミ袋に入れ、残りは流せないため汲み置いている水で流すものの
十分に流しきれていない状態でした。

市が外に仮設トイレを2基設置したものの管理は避難所がせざるを得ず、
しかも外部から来られたボランティアの方々が大勢で使うだけ使って汚していく時期もあったようです。

翌日に石巻市民会館の避難所リーダーが他県に移住されるとのことで、
次のリーダーが決まらず、さらに残された高齢の方々にトイレの管理などをさせるのは・・・という問題に
直面されていました。
確かに身寄りのない高齢の方は行く当てもなく、避難所に取り残されていく可能性があるなと感じました。

特に規模の小さい避難所には十分な支援が行き届いておらず、
仮設住宅の割り当てなども後回しになるのではないかと不安に思いました。

多くの問題点に触れながら夕方が近づき湊小学校でのエリアミーティング。

どうやら部屋周りの効果があったみたいで午後に予想以上の受診者があったとのことでした。
事前の申し送りで受診者は減っており医療ニーズは低下してきていると言われましたが、
ニーズが減ったというよりは、システムや伝達手段が確立されていないために点在している被災者の方々が
どこへ行けばいいのかわからないようでした。

たしかに開業医レベルで再開してきているところも出てきてはいるようでしたが、
あくまで復旧のめまぐるしい地域であり受診者に移動手段がないことが考慮されていないようでした。

緊張しているためか、若さ(?)なのか、この日は全く疲れを感じず比較的元気にホテルへの帰途に着きました。

明日のゆで卵を楽しみに本日もおやすみなさい・・・zzz 





清水チームからの報告その1

清水チームから報告をいただきました

*************************************

5月17日(1日目)
07:35 岡山空港出発
08:55 羽田空港着
    両備関連会社(ハロートウキョウ)のチャーター車両にて移動
15:20 石巻赤十字病院着
    両備関連会社(ハロートウキョウ)のチャーター車両にて移動
16:50 湊小学校着
    レンタカー(ハイエース)を引き継ぎ
20:00 仙台市内のホテル到着/夕食後に就寝

 清水(医師)、金山(薬剤師)、藤若(看護師)、田邊(事務、運転)の平均年齢30歳という
若いメンバーでの活動となりました。

最初に驚いたのは薬剤師の金山さんの年齢で、
このギャップ具合は前後の派遣グループや現地の他の活動メンバーからも驚かれていました。
まさか(清水と)同い年とは・・・。

医師会の方々のあたたかい見送りを受けて出発前に写真撮影。

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やや緊張気味でがこのメンバーなら協力し合って充実した活動になりそうだと感じられた初対面でした。

協力してくださる方々やこれまで派遣された方々のご尽力の賜物で、移動はとてもスムーズで快適なものでした。
羽田の近くで遠目に見えた東京スカイツリーも移動を楽しませてくれましたし、
同行メンバーはもとより運転手の方々とも楽しく話しながら時間はあっという間に過ぎました。

そして到着した石巻赤十字病院。
なぜか警察の方が忙しく動いていたのはどうやら中で事件があったようで・・・・。
そんなこととは露知らず、それをわき目に見ながら災害支援本部へ。

一時期大変な事態になっていた石巻赤十字病院は依然として通常というには程遠いですが
予想していたよりは機能は回復していました。

ただこのときにはまだ水面下でどれだけ情報収集に苦労されていて、人材が不足し、
周辺の医療活動が赤十字病院に大きく依存しなくては回らない状況にあるとは知る由もありませんでした。

オリエンテーションを受けた後活動拠点となる湊小学校に移動したわけですが、
近づくにつれて周囲の状況はめまぐるしく変化していきます。

それに伴って次第に緊張感も増していき、会話も次第に少なくなっていきます。
運転手の方々はそれ以前の状況を見ておられたので「かなり片付いてきていますよ」と言われますが、
どれだけのすごい力が加わったらこのような状況になるのか、
少なくとも私の拙い想像力では何かにたとえることのできないくらいの激しい爪痕でした。

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担当は「エリア7」。先行グループの吉田医師は大学の同期で、
事前の連絡ではお互い探り探りの連絡をしながら同期とわかって軽く感動しました。
久しぶりの同期との再開が災害地への派遣でというのはお互いの医師としての使命感を称えるとともに、
どことなくむずがゆい感じでした。申し送りを滞りなく行い、吉田班を見送りました。

改めて周囲を見回すと瓦礫が至る所に放置されている状況でした。

人や車の動線は片付けられているものの、依然ヘドロなのか埃なのかいろんなものの混ざった
目の細かい塵が地面を覆い自衛隊車両の通るたびに巻き上げられその脇を子供が自転車で通っていました。

避難所として利用している教室から間近に見える学校裏の墓地には墓石と並んで数台の車が立っていました。

診察室は学校の2階で、家庭科室のような場所を間借りして、ダンボール製の壁で敷居された診察室が4部屋。
ただそのうち2部屋は外から丸見えの状態でとても内科診察を行える環境にはありませんでした。

薬は思った以上に種類がありましたが量は少なく、数日分の処方をその場で行い、
足りない分は石巻赤十字病院から後日配達していただくシステムが確立していました。

活動内容としては湊小学校での診察とその他の避難所への巡回診療、
ショートステイベース(SSB)という一時的な入所施設での診療などを複数の医療班で分担して行いました。

ただリーダーとなる日本赤十字の医療班も1週間程度で入れ替わり、
そのたびに状況の把握からスタートするここになるため拠点の湊小学校の内部状況でさえ
十分に把握しきれていない状態でした。

まして他県の医師会から数日派遣されてくる医療班がどれだけのことができるのか・・・??
とにかくがんばるしかないでしょう!!!

明日からが本番。
問題が山積していることをこの時はあまり理解できていないままともかくホテルに向かって出発しました。
若いメンバーのよさは切り替えの早さです。まずは食べて寝る。明日のことは明日考えよう!!



川上チームからの報告その5

<5月9日(月)> 

8:50のJALで岡山へ戻る。
医師会事務局長の川端様のお出迎えあり。
行動をともにしてくれた皆様、5日間有難うございました!

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【被災地での診療を終えて】

正味三日間の診療を終了し、まず思うのは、これまでの班の先生方と同様に
「石巻にての医療は震災当初の救急医療から別段階に入っている」ということです。

避難所にて外科処置などを行うことは少なく、路上の瓦礫が整備されていることからも医療機関へ紹介し、
整備された医療環境下にての診療が望ましいと考えます。
また日赤もそれを望んでいるように解釈しました。
「震災以前よりも過度な診療を行わないようにしてください」と到着早々注意を受けました。

避難所に医師が常在するのは望ましい環境でありますが、
そのほとんどが糖尿病、高血圧など慢性疾患の投薬でありました。

明らかに生活習慣病のデパートのような患者にノーチェックで震災前と同じ薬剤を出し続けるのは「環境も違うから増悪しているかもしれないのに」と、不安になりました。

しかし「瓦礫撤去で忙しい」と医療機関受診には応じてくれません。
日常診療でも多忙を理由に投薬のみが続くケースがありますが、
我々の滞在は加えて短期間であるため説得力に欠けます。

震災医療といえばそれまでですが、被災者の方々もそこから抜け出してもらう時期に来ました。
我々も「被災者の自立支援」へと方針を変えなければならない時期となっています。

一方で日赤救急外来には一日200人以上の患者が訪れ野戦病院の如くであると聞きました。
このことよりは医療者は多数必要であることは間違いありません。
ただそれは短期間ずつの滞在ではなく最低でも数ヶ月単位で赴任しなければならないように思いました。

一度閉ざされた医療の流れを元に戻すためには腰を据えた上での診療が必須です。
となると、結局「医療過疎地」と言われていた東北の元々の問題に戻ってしまうのです。 
被災地での診療については経験もなく不安がありましたが、結局は通常通りの診療を行えば良いということでした。(また実際それ以上はできませんでした) 
妥協しなければならない場面にも多々遭遇しましたが、現時点では多種多様のグループがおり、
滞在が短期間である以上、いくつかの矛盾をはらむことはしかたがありません。

その問題点を捕えて次の行動へ移るべきなのかもしれませんが、
改善策を唱える前に「それを継続できるのか」を考える必要があります。

石巻の医療状況がある程度落ち着けば自然に細かい点へ目が向けられるでしょうから、
それまでは受け身になることも必要だと思います。

我々の仕事は避難所を回り衛生状態をチェックし、改善へ向けて医学的見地から提言することにとどまりました。地区に漂う悪臭、塵埃、閉ざされたライフラインのことなど考えますと被災者の方々はこの場所を離れて、
各都道府県やボランティアがさしのべている「移住」に応じるべきではないかと思うのですが、
どんなに環境が悪くとも住んでいた石巻湊地区から頑として動こうとしない住民意志があり、
それは医療から離れた問題でありました。

任された湊小学校には日中4つの医療班が常在していましたが、赴任二日目の午後私ども1チームのみが残され、のこり2グループは自発的に「別の避難所へ巡回(指定曜日外)」、「瓦礫掃除」を行いました。

各グループともめいめい考えることがあっての行動であったと思います。 
20年近く前に阪神淡路大震災が起こったとき,研修医でありましたが、勤務先の病院が透析患者を受け入れ、
数回にわたり救護隊が出た事を憶えています。
「六甲に山賊が出て荷物を奪われる可能性があるから、目的地に着くまでは時速○○kmを保ったままで停車をしません」という前触れがあったため、救護隊員は前日から飲水制限をしていました。
トイレ休憩もなかったからです。
最初に向かった外科の先生が「必要なのは内科。インフルエンザが流行している」。
次に向かった内科の先生は「必要なのは精神科。心のケアこそ一番重要」と報告。

被災地に向かうということがどういうことであるか、
そのニーズが徐々に変わることも遠巻きに見ながら知りました。
同時に「震災=ボランティアに向かう」という公式が研修医の頭に刻み込まれました。

このたびの東北大震災では医療ボランティア含め、大変多くのボランティアが被災地に足を運んでいます。
このような活動を見て、後に医療を目指す人達がどのような思いを抱き、もし次に何らかの災害が起こった時、
どのような行動をとってくれるのか、と興味深く思っております。
その意味において岡山県による継続した医療の記録は大変重要になると考えます。

最後になりますが、私と共に被災地へ行っていただいた三名の方々に感謝いたします。
混成チームということで不安を抱えておりましたが、
無病無事故で戻ってくることができましたのも皆様のご協力のお蔭だと思います。

また医師会の皆様、送迎はじめさまざまなご援助を有難うございました。
防塵マスクは大変有り難かったです。



川上チームからの報告その4

<5月8日(日)>

最終日である。しかも日曜日。GW最終日。

渋滞しないと判断して7時に仙台を発った。皆と顔を合わせたときに地震が一回。
8時半前に湊小学校に到着。
エリアリーダーになる長崎原爆病院の一行が参加し、鳥取県医師会が帰ったあとで顔ぶれが異なった。
当班の本日の予定は午前中湊小診察で、午後は湊中学校。
午前中のエリアミーティングでは防塵マスク500枚が届いたとの報告があった。

9時の診療開始前、手に傷を負った男性の処置をした。
車に轢かれた飼い犬を助けようとしたところ、興奮して咬まれたのだという。
洗浄する場所がないため手洗い場を使用。破傷風トキソイドを打つ。

日曜日のためか、患者数は各診察室とも10人程度と若干多かった。
減少しつつあると報告を受けているが、咳の患者は依然多い。
津波の水を歩いたあとから出現する皮疹を訴える患者にも数名遭遇。
高血圧ふくめ慢性疾患の患者は環境の変化による悪化が気になるため医療機関にての精査を推したが、
「瓦礫の仕事で休みがとれない」などという理由で検査が滞ることがあった。

昼休憩に山下さんの提案で町を散策。
朝は晴れていたのに急に雨となったため長靴に履きかえて歩いた。

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今までは車で移動していたが、ぬかるみを踏み、
むき出しの屋根裏などを見ると石巻の状況がよりわかるような気がした。

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車の中からもひときわ目立った「石森章太郎記念館」へ行ってみたが閉館。

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鉄製のきのこ型の建物は宇宙船のよう。

そのまま商店街へ向かうと「仮面ライダー」、「ゴレンジャー」、「サイボーグ009」など
石森ゆかりのフィギュアが損傷なく残っていた。

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ボランティアも住民もいて、清掃に励んでいる。洋楽が流れていたりする。

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雨はやみ、徐々に晴れてくると目が痛くなった。粉塵もアスベストも多いだろう。

湊小に帰ると、体育館で慰問コンサートをしていた。
車の中でその歌声を聞きながらカロリーメイトなどの食事をとった。

14時前に湊中学到着。沿岸部に近くなるので光景は更に荒んでくる。匂いも激しい。

校庭には自衛隊の車が地面をなだらかにする作業をしていて埃が舞う。
それ以外は湊小と違って人影はまばらだった。
まず避難所に住み込んで被災者の世話をしている在宅ナースのボランティアグループ「キャンナス」の
看護師に会う。特に問題はないとのこと。

新しい水道の蛇口があり、外部には水は通っている。
簡易トイレも4つあるが、高齢者は階段を下り外まで出るのが大変で使用しないなど
ほとんどは校内のトイレに便袋を使って使用しているとのことである。その処理はキャンナスがしている。

避難所内に入った。二階までは浸水したこともあり、匂いが強かった。
現在は収容人数は49人で3階と4階に別れて住んでいる。診察室にあてがわれた2階の教室に通された。

青いビニールシートが不安定に敷かれ、ぽつんと学童机が置かれている。
机は埃を被っている・・・匂いがひどい。潮風もひどい。埃もひどい。到底窓を開ける気にはならない。
埃の机の上を拭くものもなく手持ちの新聞紙を敷いた。その中で二名の診察を行う。

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湊中学校は震災後当初1200人の避難していたという場所、と岡本さんに教えられる。
屋上にはヘリが物資を運んだ様子が見られるとの事。1200人という言葉に気が遠くなる。

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食料も心配であるが、排泄も問題だ。
1200人が限られたスペースを使い、限られたトイレを使用していたというわけだ。

下水処理がないためもともとのトイレに「便袋」を入れて、用を足し、消臭スプレーを用いているというトイレのドアに男性用には「男性の品格」、女性用には「女性の品格」と達筆の墨字が書かれていた。
添えられるように「きれいに使用しよう」というようなことが書かれている。
マスコミでも避難所のトイレは衛生面から問題になっていた。

海外から帰り、日本のトイレを使用した時、何度もほっとしたことがある。
快適なトイレに慣れていた日本人にとって避難所のトイレはどんなに苦痛であっただろうと考える。
「それにしても・・・・」と文字の前で思う。「きれいに使用しましょう」とだけ記すのではなく、
「・・・の品格」と流行語になったベストセラー本の題名で訴えているところに、これを提案した主のユーモアを感じてしまう。その根底に人間の「強さ」と「逞しさ」を感じずにはいられない。

診察の合間に湊中学校に住む被災者に尋ねてみたが、不自由の訴えはない。
シャワーは毎日あるから週一回の巡回風呂で充分、防寒も充分とのこと。

窓は開けられないが洗濯物は各自が工夫して室内で干しているらしい。
その物干しロープが不足していて、現在自衛隊に依頼している、とは管理を任されている北海道庁職員の言葉であるが、その到着が遅いことも訴えられなかった。

本部にはいろいろなものが並んでいて、物資の充足は見て取れる。

北海道庁職員は衛生面だけが心配と言った。
翌日の朝食が前日に配布される。これから気温が上昇した時に腐らないか不安だ、と。
気温が上昇すると蝿が出てくる。悪臭、埃、蝿・・・問題は予想されるというのにとうの住人からはその訴えが出ないのだ。

帰り際、炊き出しを行っている体育館を覗いた。ドアに「みなと食堂」と書かれていた。

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覗いてみると、アーティスティックな絵や花が飾られ、ファッショナブルな若い人達が給仕していた。

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片隅ではカットなどもしていた。中学校の体育館であることも被災地であることも忘れるような空間。

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処方のこともあるので15時半を回ると湊中学校をあとにし、ふたたび瓦礫の街をすすみ、湊小学校へ戻った。
山下さんと大北さんに処方薬を届けてもらい、私と岡本さんは湊小で引き継ぎの準備に。
やがて後続の江谷班が到着。渋滞にはあわなかったとの事 長旅おつかれさまでした。

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最後のエリアミーティング。湊中の巡回内容と環境について報告。
夏期へ向けての食糧の保存が問題となるため冷蔵庫の配置を希望する。
また診察人数と看護師含めて常在者が複数名いることよりも巡回回数の減少が可能と判断した。
順次申し送りを終えて4日ぶりにハロートーキョーのハイエースに乗った。
途中のPAではハロートーキョーの方々が勧める「軍鶏定食」を四人中の三人が注文した。
行きのPAでは蕎麦やうどんであったことを思い出す。羽田空港近くのホテルに到着したのは23時半。

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川上チームからの報告その3

<5月7日(土)>

6時半にホテルを出た。土曜日のためか渋滞が少なかった。
「鳴瀬奥松島」で高速を降りたとき、「これはもう使えないよ」と高速料金を催促された。
そのため週明けに医師会に問い合わせてもらうことにした。
予定より早めに市内に入ったので、海岸部まで行ってみることにした。
被害状況はひどくなる。瓦礫の山をみて、路上に瓦礫がないことが大変な作業の果てであることを感じた。
しかし圧巻はやはり湊小学校の裏の墓地の光景

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朝のエリアミーティングで予定の確認。予定は当日朝の最終確認が必要。
やはり昨日から変更されていた。
その後避難所代表らしき人が来て、昨日我々が帰った後に救急車で湊小の被災者が日赤に運ばれたということだった。「被災者の中にはぎりぎりまでふんばる傾向にある」と言われた。

午前中の診察
6名程度の診察。咳など上気道炎と体勢痛が多かった。
前日公表された防塵マスクはまだ届いていないのでかき集めたものを数枚ずつ手渡した。
体勢痛の原因は避難所では寝返りができないので痛くなるのだということだった。
一教室に11世帯。20人前後が眠るのだ。

乳幼児のいる世帯は一教室にまとめているが、痴呆患者についてはそうではない。
「夜うろうろされるから眠れなくて」と睡眠薬や安定剤を求められることも多かった。
本部より常備薬整理の指示が出ており、空き時間に整理をしたりする。
岡山医師会より持ち運んでいたものも不要と判断され、車に移動した。
12時半を回って午前中の診療が終了。前日もらった調理パンとカロリーメイトなどをめいめいとった。

昼休憩にHbA1Cを無料で測定するグループが所内にあることを知る。
5月10日に東北大学の糖尿病教室も定期診察に来られるとの事。
担当の看護師と話すと、震災後の糖尿病患者のHbA1Cは低下している傾向にあるとのこと。
避難所生活では食事療法や運動療法が不充分だと思っていたので意外だった。
理由として「間食がないこと」「飲酒がないこと」があるだろうとのこと。

午後は福岡日赤に加え、鳥取県医師会と北多摩医師会の人達も自主的に巡回に出てしまったため一班のみとなる。午後の診察患者数は6名程度で軽症に留まる。
終了時のエリアミーティングにて鳥取県医師会は瓦礫撤去の手伝いをしたと言った。
「それが一番必要だと思ったから」とのこと。北多摩医師会は避難所に回ったが安定していたことを述べた。

帰り際、本日で終了という福岡日赤のみなさんと記念写真を。
岡本さんは「パソコンのディスクトップにします」と気に入ってくれた。背後に「共に生きよう!」という言葉

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福岡日赤だけではなく鳥取県医師会と北多摩医師会も本日までの勤務であった。
当班は、明日で滞在三日目になるが「一番の古株になりますからいろいろよろしく」と言われて焦った。

福岡日赤の滞在は一週間で、石巻の公民館で寝泊まりしているとのことだった。
水と下水はOKだが、風呂は一週間近く入っていないと言っていた。
「でも,先発の班よりは楽ですよ、彼らはテント生活でしたから」・・・一週間ほんとうにお疲れさまでした。
それから有難うございました。

鳥取県医師会は石巻市の医師会館で寝泊まりをしているとのこと。
水道と下水、畳の部屋があるということだが、風呂はない。
滞在三日目にさすがに臭くなって皆で銭湯へ行ったという。
われわれは仙台駅前にホテルをとってもらっていた。
往復に時間を要するが、境遇に感謝。ただ運転手の山下さん、大北さんは運転ご苦労様でした。

その夜NHKで津波を検証する番組があった。津波に流されあるいは襲われながら生還した生々しい言葉を聞いた。「津波で流される人を救助してから・・・」と足の痛みを訴える患者がいたことを思い出した。
訴えはしなくても、避難所の皆がそれぞれにいろいろな場面に遭遇して来たことを今更のように思う。
朝日新聞を読むと、宮城版に明日向かう予定の湊中学校のことが載っていた。

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【朝日新聞】
 
こちらから「朝日新聞.pdf」にリンクしています・・・・・すこし拡大してご覧ください





川上チームからの報告その2

<5月6日(金)>

昨夜は入眠早々に地震が一回あった。
揺れが長引いたこともあって寝不足の顔。

仙台-石巻は2時間かからない距離だが、渋滞を考慮して6時15分にホテルを出発。
案の定、渋滞するが、8時半には目的の湊小学校に到着。
途中料金所で車内にあった「災害車両証明」のようなものを提示してみると、高速料金が無料になった。
車を降りると生臭い匂いに包まれた。

荷物を置いて8時半からの朝のミーティング集合した。壁の時計を見ると50分をさしている。
「あ!私たち遅れたんですね。もう50分」と慌てると、鳥取県医師会の人達が笑った。
「今、まだ30分ですよ。時計止まっていますから」・・・校舎の時計も家庭科室の時計も
3時50分を指したまま止まっていた。津波が襲った時刻なのだろう。
診察室では紛らわしいと思うのだが、今まで誰も時計の掛け替えを提案しなかったというわけである。
この時計は広島の原爆記念館に展示される「8時15分」を示したままの腕時計と同じ役割を担っている。
実際この時計の下にいると「日本医師会 JMAT」と書かれたユニフォームを着るより気が引き締まる。

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朝のミーティングの内容は前日の全体ミーティングで報告のあった県より防塵マスクが2000枚石巻市に支給され、
湊小学校への配給は500枚ということなど。
診療が開始し6人ほどの診察。上気道炎、高血圧、糖尿病などの慢性疾患の定期薬処方。
ガーゼ交換。持続する腸炎・・・このうち持続する腸炎については精査を勧めたが、
「車もないし,時間もない」というように拒まれてしまう。
薬は薬効別に段ボール箱に納まっており,降圧剤は配合剤まで揃っていた。
ワーファリンは「プラザキサ」への変更指示。
各県から薬剤師が数人配置されているので、薬については困らない。カルテは紙カルテ。

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途中で一度トイレを使用。通常の水洗トイレ。
湊小学校には現在250人近くの方が避難し、一教室あたり平均11世帯を収容しているという。
多くの人々は日中は自宅に戻り、瓦礫撤去などを行っていて、残っているのは主に高齢の女性。
私たちと行き違うと「ご苦労様」と声をかけてくれるが、廊下で立ち話をされるでもなく
静かに淡々と日常のことをこなしていた。既にそれぞれの生活のペースが作られている。
とうに「震災」というものを受け入れていることを知る。その姿に「強さ」を感じた。

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12時前だったが、患者の足が途絶えたところで診療を終えて、午後の診療予定の石巻ロイヤル病院へと移動。
その前に岡本さんが「「避難所の子供たちに何か買うように」と職場からお金をもらったので、
娘と本を選んだのです。ちょっと渡して来ます」と岡山から持ってきた数冊の本を持って、教室へ向かった。
戻ると「ちょうど先生もおられて手渡すところを写真にとってくれました」と見せてくれた。
任務のひとつを終えてほっとした表情。しかし、なんて素敵な職場なんだろう!!

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SSBのある石巻ロイヤル病院については「湊小学校とは違って水道も下水もありません。
パットを敷き詰めたトイレで用を足して、それを捨てています」ということであったため、
湊小学校より更に状況の悪い所であるかと思ったが、山沿いののどかな田園風景の中にあった。

瓦礫の堆積もなければ車の渋滞もなく、信号機も作動しており、「震災」を感じさせなかった。
距離が分からないため、早めに出たが、順調に到着した。車中でカロリーメイトなどを昼食としてとる。

病院も通常業務を行っていて、待合室に患者が腰掛け、名前を呼ばれると受付へ向かう、という一般の病院風景。4階に向かうと、名古屋第二日赤が我々の到着を待っていた。
それまでなかったSSBのマニュアルを作ってくれていた。その先生方を送り出したあと、患者の往診。
患者数は昨日の5名から更に2名に減少。途中で地震が有り、少し揺れた。

SSBはもとは石巻ロイヤル病院の事務や倉庫であったところをこのたびの震災で急遽病院側が提供してくれた
スペースということで、トイレが不便なのも、もともとなかっただけのこと。
3階以下では下水も通っており、水洗トイレが使えるので、階段の昇降ができない場合のみ簡易トイレ+パット処理をする。患者は共有スペースなどで時間を費やす。

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「詰め所」には多種多量の食料がストック。

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患者にはそれぞれ床にマットが強いてある程度だがベッドがあてがわれる、
避難所のようなすし詰め状態とは無縁。

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交替で常在する「ジャパンハート」の看護師さんと。滞在中二度石巻日赤から電話があり、二名の収容依頼。
承諾したが、ともに翌週とのこと。この間大北さんと岡本さんは診療日誌とエリアアセスメントという
巡回先の状況(水、下水、毛布、食糧、精神病患者数、など)のチェックを行う。
(日赤はこれらを元に感染症の動向、避難所の状況を確認する)。

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16時でSSBを引き上げ、湊小学校に戻り,エリアミーティングに参加。
SSBの報告として、適応患者の条件設定が必要であることと医療班の交代が短いことによる
「ジャパンハート」スタッフの負担などを告げた。

岡本さんと大北さんが作成した診療内容簿とエリアアセスメント表を提出。

本当は石巻日赤に戻り、全体ミーティングに参加しなければならないのだと思うが、
仙台→石巻の移動は思いのほか長い。前班よりも「体力を考えて省略した方がよい」という忠告があり、従う。
帰路のICでまた災害車両証明書を見せたところ、やはり料金は徴収されず。
仙台に到着し、ロビーで解散した。

夜間SSBを請け負う「ジャパンハート」の看護師より二回電話があった。
翌日の夕食の注文がFAXの不調でできていないとのこと。
二度目の電話で解決したことを知るが、FAXなどの利用はこのような状態では難しいことを知る。




川上チームからの報告その1

多少順番が前後しますが、川上チームからの報告です

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活動期間:平成23年5月5日-平成23年5月9日)
活動拠点:石巻赤十字病院
活動内容:石巻地区周辺の避難所、救護所の救援活動(エリア7)

チーム構成員・川上万里(医師;まび記念病院)・大北まゆみ(看護師; 特別養護老人ホーム富山荘)
・・・・・・・・・・・・・岡本華枝(看護師;長島愛生園)・山下明宏(医療事務:林病院)

<5月5日(こどもの日)>
早朝岡山空港に集合。同行予定の大北まゆみさん、岡本華枝さんと山下明弘さんと初めて会う。
所属病院が全員異なる混成のチーム。医師会から理事松山先生と事務長の原様の二名の見送りあり。
「日本医師会JMAT」とかかれたメッシュベストを手渡されて,GWでレジャームードが漂う機内へ。

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飛行機は1時間半後に羽田空港に到着。そこからハロートーキョーのハイエースで石巻へ向かう。
途中二回パーキングにて休憩有り(上河内と菅生)。
東北に入るとパーキングに簡易トイレ設置有り,自衛隊車が多く駐車している。
迷彩色の自衛隊員の姿が多く見られ、我々と同じように食券売り場に並んでいる。
めいめいで食事を注文したが、申し合わせたように二人が蕎麦、二人がうどん。
草食系の私たち、というよりも緊張のためかあまり食欲がないのだ。

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GWは後半にかかり、上り方向の渋滞は目立つが、下り方向はスムーズ。
15時頃石巻日赤に到着。駐車場はすべて無料化していた。
正面玄関は閉鎖していたため救急外来口から中に入った。救急外来受診を待つ患者が静かに並んでいた。

登録のために本部へ向かう。
それから全統括を県知事から委ねられているという石巻日赤の石井先生から説明を受けた。

まず「このあと赴くいろいろな場所で再び地震と津波が起こったときにどこに非難するかを考えてください」と言われた。
これから湊小学校に向かうが、それが石巻のどのあたりにあるのかわからない。
壁にある大きな地図を見ても方角も高低もわからなかった。
事前情報無く入ってしまった自分の甘さを感じたがあとの祭り。

石井先生の言葉は医療に及び、支柱病院のひとつであった石巻市立病院が浸水のため機能しなくなってしまい、
日赤一院に救急医療が集中。日赤は全部断らない方針で毎日救急外来には200-400人の患者が出入りし,
野戦病院のようであるとのことだった。
避難所に向かう私たちに言われたのは「被災者の自立を促す医療を」ということ、
加えて「震災以前以上の医療を目指すのではなく」というものだった。

既に市内の医療機関、薬局などの多くが元に戻りつつあるという。
説明を聞いたあとで、前班と引き継ぎ予定の湊小学校へ向かった。

そちらへ向かうにつれて光景がテレビで見る「被災地」の風景に変わった。
舗装道路に亀裂が入っているのか、あるいは瓦礫の除去がうまくいかないのか、車はしょっちゅうたてに揺れた。信号機が灯らないので速度が落ち、海沿いに向かうにつれて渋滞した。

16時に湊小学校に到着して降車したとき目が痛かった。校庭は自衛隊車含めて駐車場になっていた。

校舎に入ると正面に大きな仏壇とたくさんの位牌があった。持ち運ばれたり、拾われたりしたものだろう。
診察室になっている「二階 家庭科室」を目指す。
歩いていると壁には激励の手紙や寄せ書きの旗などが貼られていた。
家庭科室は段ボールで仕切った四つの診察室が出来ていて、共有スペースに紙カルテと薬剤などが並んでいた。
そこで江口班から申し送りを受けた。

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窓から校庭を見下ろした。江口先生から正面のテントが自衛隊設営風呂だと説明された。
「希望の湯」と幟が立っていた。タオルのはちまきをした人達が校庭を行き来している。
「この三日間で校庭もどんどん変わっていったんだよね」と江口先生の言葉だった。

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「もし津波が来たら?」と質問すると、「高台までは早歩きで10分の距離で間に合わない。
津波は小学校の二階まで来たと言うから,屋上までいけば大丈夫ではないだろうか」という返事を得た。
避難所は高齢者も多いというのでそれが良いだろう。

16時半からエリアミーティングに初参加。福岡日赤がエリアリーダー。
当班のほかは鳥取県医師会、北多摩医師会。

湊小が主体となる「エリア7」の属する医療班は午前中は同校での診療で、
午後は各避難所の巡回というのが一般的だった。
ミーティングでは各避難所巡回の報告も行われた。

この日岡山班は「湊中学校」を巡回していた。そこで避難所の境遇にも差があることを知らされた。
前班を見送り、現地用の車の鍵をもらって山下さんの運転でふたたび石巻日赤へ向かった。

日赤では18時より全体ミーティングがあり、この折も日赤からは「被災地診療所の縮小」が提案された。
また「ショートステイベース(SSB)」という「避難所滞在は困難だが、
入院適応にはなし」という患者の収容箇所を石巻ロイヤル病院に20床確保し、その利用を促す報告があった。
現在は5床埋まる。手元の予定表で明日の午後は当班が担当であることを確認。

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再び車に載って仙台のホテルへ向かった。
前班からの申し送り通りIC[鳴瀬奥松島-仙台東]で高速料金を支払う。
20時頃仙台到着.翌朝の集合時間を確認して部屋に入り、SOYJOYとお菓子を食べて夕食にした。





江口チームからの報告

江口チームの江口先生から報告を頂きました

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宮城県石巻市での活動報告(江口チーム)

活動期間:H23.5/2からH23.5/6
メンバー:江口尚彦医師・木村久医師・田中睦美看護師・小笠原加代薬剤師

医療で何かを解決すると高らかに向かったわけではなく、
現地の方にどのようなことができるのだろうという疑問で移動していました。

時間や申し送りのことなど、他のチームの先生方が、詳細に書かれていますし、
僕は別の視点で報告させていただければと思います。

石巻市全体でもかなり被害の大きいエリアが担当ですから、否応なく緊張が高まっていましたが、
医療作業に入るとすぐに忘れて、没頭しました。

担当は、石巻小学校の家庭科室での診察、小学校の教室が避難所になっているので、
そこで暮らしておられる方の回診、小学校以外のさらに環境が悪い場所での業務です。

現地で感じたことですが、
・天国と地獄のような格差と起きていることが映画やCGなどではなく現実の世界であること
・医療の難しさと限界、無力感
上記2点に集約されます。

石巻の避難されている方々の気持ちとして、この震災をメディアでの報道が少なくなるとともに、
皆様の記憶から薄れないでほしいとの要望がとても強かったことが十分につたわりました。

場所を岡山に例えるならば、石巻赤十字が岡山医療センターのような位置に存在し、
石巻小学校は岡南あたりをイメージしていただくとわかりやすいです。

最初に到着したときは、赤十字周辺は大きな津波の被害はなかったので、
商業施設も、普通に営業がされていましたし、病院自体もきれいで、
全く大きな被害後に見えないほどに復興していましたから、きょとんとした感じでした。

が、自分の活動エリアに近づくにつれ、光景は一変し、
道路だけは通ることができる状態になってはいましたが、
建物の倒壊、墓地や新築したばかりと推測される家、商業施設などに車が入り、
ライフラインすら戻っていない場所が全面に広がっていました。
この格差と、現実なのだということを再度強く理解するために、初日強い困惑がありました。

午前に学校内を回診して、午後は診察か、往診をしていました。

医療の無力さを感じたというのは、検査の器具も即時に輸液で休んでいただくことも、
すぐに紹介などができない点です。
加えて、回診の際にどのように声をかけてよいのか全く分からず、
研修医の初日に戻ったほどの緊張があったことです。

避難の方も月日が経ち、いらだちも多いですし、
よく私たちがいう”どうされましたか”や”調子の悪い点はありますか”などが使えません。
当然皆さん、調子が悪い状態でおられますので。

あと診察後に”お大事に”や”十分水分をとってゆっくり休みましょう”なども未来を考えることができなくなっている方々に言えるわけがないです。

血圧計はありましたから、匂いも何も気にせず、できるだけ非難された方の、
教室内でのパーソナルエリアに座り込んで”まず血圧でも測りましょう”と話し、
震災後ですから皆さん全員が高血圧になっていますから、”値が高いですね、頭痛などはないです?”など
普通に話しながら、触診、視診、打診などアナログな診察でできる限りのことをし、
あとはゆっくりとおひとりずつ話をするしかできませんでした。

一口に避難所と言っても、メディアに出るようなきれいな場所もありますが、
夜はろうそく、トイレは水がないですから、大きなゴミ袋に新聞と大人用の紙おむつをしいてされる状態、
風呂もほとんど入れない場所もありました。

根深いものもありますから、まだまだ復興は難しいですね。

これは回診をして、避難の方々とじっくり話をしないと分かりにくいとおもいますが、
私個人として印象に残ったのは、80歳近くの女性の方でしたが、
震災後の翌日にはご自宅に窃盗に入られていて、
”誰かが私の代わりに、家をきれいにしてくれんたんじゃと思うとります。ありがたいことです。
あとは私を整理するだけですかのう”
と大笑いされながら、話された時は、
医療者にあるまじき行為ですが、内面を抑えきれず、涙がでてしまいした。

私たちにできることは、現場の状況を事実として把握することと、
記憶を風化させず強く元気を発信することだとおもいます。


青臭い報告ですいません。私自身人生観が大きく変わりました。

最後になりましたが、眼科の木村先生、薬剤師の小笠原さん、看護師の田中さん、
皆様私よりベテランの方ですが、助けていただき、また瞬時に強い結束力が生まれ、最高のチームでした。
ありがとうございました。

江口チーム:江口尚彦




江谷チームからの報告その4

<5月11日(水) 4日目>

6:30 ホテル発
石巻市内の交差点、目の前で交通事故に遭遇
トリアージしたためミーティングに遅刻した。

ずっと感じていたが、石巻市内にはすごい数の警察官がいる。
信号が消えているところがあるので、1つの交差点に4名ほど
1日3交代だといったいどれくらいの人数がいるのか?
事故現場は信号があったが、振り返るとすでに警察官が4人くらいいた(事故から1分もたたずに)
怪我をしたのは通学途中の自転車の高校生
車ではねたのは幼稚園にボランティアに行くマジシャンでした。
朝からちょっとブルー。
高校生が大した怪我がないのが幸いでした。

9:00過ぎ~ 湊小学校
<午前は3診>

おかやまチーム
診察5名ほど

整形外科的な痛みの訴え、創処置、処方切れなど変化はない。
避難所外から受診する被災者には、かかりつけ医を持つことを勧めている。
湊地区のかかりつけ医院はなくなってしまっているところがあるため、新たに探さないといけない。
被災者には市内の医療機関の再開状況が伝わっていないし、公共交通機関はほとんど機能していない。
小学校にあるリストと地図を見ながら患者さんと相談する。
1名だけ新しいかかりつけを探すことができた。

活動中に地元医療機関に引き継げたのは2名のみだが、地道に進めるしかないだろう。
不利な状況のなかで懸命に再開しようとしている地元の医療機関に頭が下がる。
紹介状などないので、カルテのコピーを裸で患者に渡してよいか確認し、許可をもらう

岡山チームの持参薬は撤収することに決定

12:00~14:00 昼休み
お弁当を持って、日和山に視察に行った(診察室の窓から見える山)
太平洋方向(市民病院方向)の景色は・・・
これでもマシになったらしい。
エリア幹事チーム(長崎日赤)とばったり遭遇

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(機能停止している市民病院が見えます)


14:00~16:00 湊小学校
午後から多摩医師会のチームの代わりに杏林大学のチーム(脳外科)が入る

<2診で対応>
咳の訴えで診療を希望する人が多いのは、岩手県から福島県まで同じなのか?
少なくとも石巻はそういう状況で、受診しては抗菌剤と咳止めが処方されるパターンが目立つ。

これだけ埃っぽければ咳も出るし、黄色い痰が出るのも当然で、繰り返しもするだろう。
受診者に了解を得て、ファイバースコープを施行(びっくりされた)
鼻腔から咽頭、喉頭にかけ粘膜に炎症性のものと思われる発赤はあるが、感染症と言えるかと言われれば疑問。
allergicな感じでもない。だからと言って、単なる化学的刺激だけで片づけるのは乱暴だろう。
この粉塵はそもそもいったいどんな病原性があるのか情報がない。成分分析したとも聞かない。
有機、無機、微生物、アスベストetc・・・??

どこかで検討し咳への対応を決めるべきでしょう・・・すべてのエリアの受診理由No1なので
医療チームが咳で困っている様子がないのが対策のヒントにならないか?
粉塵が舞う以上、今の状態でだらだら抗菌剤を処方していてはきりがない。
本部はN95の配布を検討しているよう。
ミーティングでsuggestionした。

午後は今日から参加の杏林大学のチームが頑張ってくださったので、
おかやまチームは撤収の準備を進めながらの診療

個人的には子供の耳、鼻の状態をチェックしたかったが、広報もむなしく受診なし
こちらから出向いてしまっては、被災者自立の趣旨に反するし、もどかしい。

17:00~
岡本先生と引き継ぎをし、長崎日赤チームと記念撮影をしてお別れ
長崎日赤も明日で交代とのこと。お世話になりました。

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もう少し時間があれば、もっとお役に立てただろうにと思う。
被災地に対しては、気の長い支援が必要なのは言うまでもありません。
しかし、言葉が適切かわかりませんが「北風と太陽」的な発想が必要です。

帰りの車中で今回、お世話になっているハロートーキョーのドライバーの今村さん、菊池さんとたくさん話せました。今村さんは今回で石巻までの往復7回目で、行きも帰りもお世話になりました。
菊池さんは岩手県久慈市出身とのこと。少しでもお役に立ちたいと言われていたのが印象に残りました。
行きは鶴岡さんにもお世話になりました。

いままでの石巻の変化やおかやまチームの様子をうかがえたのは興味深かった。
また、私達をリラックスさせようとずいぶん気を使っていただき、ありがたかった。
25:00 羽田日航ホテル着

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ハロートーキョーのオリーブ号


事務の塚田さん、看護師の英さん、薬剤師の黒川さんには感謝しています。
チームワークは抜群でした。
これから行く長島愛生園のスタッフの健闘も期待します。

今後の石巻のことを考えられるだけの知識が私にはありません。
実情、行政も途方にくれています。
岡山での勉強なら継続できます。
準備で得た資料、現地で得た資料が役に立つでしょう。
引き続き、細く長く支援ができればと思いました。

塚田さんとも話したのですが、
経験の浅い医療従事者でもどんどん出てゆけばよいのではないでしょうか?
被災地で勉強をさせてもらっても構わないと思います。

現地はさまざまなボランティアで溢れていて、
多少、不慣れな医療従事者が混ざったくらいでは目立ちませんし、
業務量に比べ人員が多いので充分吸収できます。
そもそも誰も未経験のことばかりですし・・・

復興した石巻をいつか見にこようとメンバーと話したのは言うまでもありません。

最後に、このような機会を与えてくださった、岡山県医師会と長島愛生園に感謝いたします。

                     国立療養所 長島愛生園  江谷 勉   

江谷チームからのその報告3

<5月10日(火) 3日目>

6:30 ホテル発
やはり2時間近くかかりました。

8:30 エリアミーティング(湊小学校)

9:00~12:00 湊小学校で診察

3診立ちました・・・・・・・受診は6名

咳症状、膝痛、膀胱炎、頭部外傷、高血圧、中耳炎など
頭部外傷は汚染がないようだったので、
洗浄と縫合のみで破傷風トキソイドは使用せず(小学校に在庫はある)
ただ、説明は必要。不安があれば使用がベター
愛生園のスタッフは岡山で接種済み

12:00~14:00 昼休み
近くのファーストフードで昼食
復興支援関係の方が多い。

14:00~16:00
湊小学校で診療(1診)
同時に東北大学の糖尿病移動外来あり
漏れ聞こえる話から、DMコントロールが放置されていた被災者が多いことが分かる。
BSが300とか言う声が聞こえる。
災害時はやや高めの血糖コントロールが安全なのでしょうが、実際に被災者に自己判断できるはずもない。
受診する被災者すべてのバイタルを測るのは当然として、
BSチェックも全員してもよかったか・・・(チップは山ほどある)

<おかやまチーム>

受診は5名程度

慢性疾患への対応がメイン。
北多摩医師会チームは午後から瓦礫の撤去のボランティアに行かれた。
夕方、釘を踏み抜いてしまったと言って帰ってこられた。
やはり素人には難しいようです。
破傷風の予防の必要性を再確認

<問題がひとつ判明>

岡山県医師会と湊小学校のエリア幹事との情報交換が不調で、
エリア幹事に負荷がかかっている(エリア7は日赤の九州ブロックが担当 今回は長崎)

【理由は】
岡山県医師会→(日本医師会?)→石巻合同対策本部→(日赤?)→エリア7幹事チーム
ルートの伝達が遅く不確実なようす。

直前までおかやまチームの編成がエリアリーダーに伝わっていない。
構成メンバーの意図が伝わらない。現地のニーズを県医師会に伝えられないetc・・・

間を抜くルートを作成することをエリア幹事に提案しました。
その方向でお願いしたいとのことなので、県医師会事務局と調整
県医師会事務局とエリアリーダー主事が継続して直接メールで連絡できれば済むだけのことです。
やはり、知らないもの同志。遠慮がありますし、業務効率も落ちます。

長崎日赤の装備を見せてもらいました。
湊小学校配備のiPadが活用されていませんでした。
エリア7リーダーでアドレスを取得
簡単なフローを作成し医師会事務局とエリア7主事を接続
運用は事務方同志で調整してもらうことにしました。

結果として、県医師会事務局の原さんの仕事を増やしてしまったのかもしれません。
このあたりから、他のチームと話しやすくなりました。
おかやまチームの装備も自由に貸し出しますと伝えることができました。

夕方のエリアミーティング後、撤収
仙台帰着 19時 

後続の岡本医師(外科) その次の吉田医師(外科)に連絡
活動報告や必要・不必要物品の資料を添付した。

ディスポ製品は避難所に余るほどあるが、滅菌済の器械はほとんどない。
日赤への供給依頼システムも機能していない(させていない?)

幹事に聞くと、下手をすると抜糸用の鋏刀すら不足するそうです。
被災直後ならまだしも、もう未滅菌の器具を使うのはまずいでしょう。
もちろん、ニーズはさほどないのですが・・・・

【アドバイス】
外科処置を考えるなら、2~3セットでもよいので自分で装備したほうがよい
岡本医師に持参の残りを託すことにしました。
当初は10セット用意していたが、情報不足で5セットに減らしてしまっていた。
日赤に洗浄、滅菌をお願いできる訳がありません。
時間の余裕はあるので、ペーパーワークは活動の合間や車内で済ますのが効率的

被害の大きい景色を見るなら、市民病院近辺か日和山山頂が近い。
いずれも、小学校から15分程度





江谷チームからの報告その2

<5月9日(月) 2日目>

6:20 ホテル発  
平日は三陸道が渋滞します。
朝の日赤でのミーティングはなくなりましたが、小学校まで2時間近くかかりました。
塚田さんに運転をお願いできるので助かりました。

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8:30 エリアミーティング(湊小学校 家庭科室)
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幹事より連絡事項の伝達と活動予定の確認

消耗材に関しては湊小学校に十分あります。
滅菌器械類は不足している。
器械がないのではなく、洗浄・滅菌できる設備が足りないのだろう。

おかやまチームが縫合セットを5セット持参していることと、その他の装備につき説明
キセノンヘッドライト、ポータブルエコー、ファイバースコープ、ブラダスキャンがある。
装備に関しては過剰なくらいで、他のチームとの差が大きいが、
不慣れな領域はハードでカバーするつもりでした。

素人がDVTの一人でも見つけられればもうけものだと思っていました。
(長島愛生園は恵まれています・・・感謝します)

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出発前


9:00~ 湊小学校で診察

段ボール製の簡易診察室はよくできている。
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塚田さんが準備中
3診で対応(4診まで可能)

【おかやまチーム】
咳(粉塵によるアレルギー症状?? 花粉症もある?)の患者が多いのは今までと同じ傾向です。
上気道炎症状を訴えられるが、ウイルスや細菌感染を疑う患者は少ない。
それ以外は高血圧や整形外科疾患など慢性疾患の診察と処方、後片付けをしていての怪我など。
お薬手帳はそこそこ持っておられるが、確認してみると手持ちの内服薬と違う(変更できていない)患者もおり、注意が必要。

しかし、手帳の効果は大きい。あるとこちらも安心でした。
未使用の手帳自体はたくさんあり、薬剤師が積極的に介入してくれる。

7名程度の診察で日赤への処方箋依頼は2件

だいたい避難所の在庫で対応できる。不足分は日赤のデリバリーシステムを利用する。
デリバリーシステムはメロンパン(移動薬局)と呼ばれている。
診療の流れが非効率的なのは仕方なく、7名程度で2時間近くかかってしまう。

ついつい話が長くなるのも人情です。

3名ほどは避難所外の方で、1名には開業医の情報を伝えた。

震災から間もない時期に日赤に受診した患者はその後のフォローアップができていないのは仕方ない。
1名は胃潰瘍で吐血、緊急内視鏡後(入院)の患者だったが退院時処方のみで再診の指示を受けていなかった。
「この薬がなくなったら治ったということか?」と尋ねられた薬のなかには降圧剤や高脂血症の薬があった? 
めまいを訴えられたが、単なる大量出血後の貧血のようである。

まだまだ混乱している。

12:00~16:00  SSB(ショートステイベース)
石巻ロイヤル病院の4Fを使っている。

SSBとは病院と避難所の間の中間施設でボランティアの看護師のみ常駐
長島愛生園でいうと不自由者棟の機能を縮小したようなイメージ
上下水道がなく、インフルエンザやノロウイルス感染の管理は事実上、不可能

上水道すらないところになぜSSBがあり、感染症管理用の部屋まである。
やはり、現地は苦しいんだということを再確認した。
入所者は2名(本来の趣旨から外れた社会的入所)

ムンプスの患者を1名受け入れ

避難所の巡回診療で拾われた23歳の女性で、私に対しては表情が硬かったが、
あとで英さんと塚田さんにぽつぽつと身の上を話されたそう。

被災地での問診は気を遣う。

塚田さんは受付で住所は聞き辛いし家族構成も聞き辛いと言っておられた。
私自身も一度、食欲はありますか?と尋ねてお叱りを受けた。
ごはんがおにぎりとパンばかりでは食欲は出なかったと・・・すいません。

SSBを引き上げるときに女性が「もう来られないのですか?」と英さんに尋ねられる姿を見るのが辛かったが、
英さんは自然に対応される。こういうのは人生経験だろう。

黒川さんは黙々と一人でSSBの薬剤の在庫整理をしてしまった。

おかやまチームに関して
それぞれのチームの専門性や独自性を出すことは、ある程度可能です

湊地域の広報紙あり・・・「湊通信」
避難所の自治組織が発行しています。
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耳鼻咽喉科の対応ができることを載せてもらいました。

近隣の子供たちの耳のことが心配でした。(今年は学童検診どころではありません)

夕方の日赤ミーティングも今日から出なくてよくなりました。
17時過ぎには小学校から撤収しました。

後続の岡本先生のチームのメンバー表が今日やっとエリア幹事に届きました。
理学療法士は過去に避難所にほとんど入っていないようで、どんな仕事をしていただくか幹事が悩んでいる。
ニーズはあるのですが、活用できるシステムがまだできていない。

こころのケアチームの活動もまだまだこれからです。

薬剤師が事務を兼務するより、可能なら理学療法士に事務作業を手伝わせたほうがよいかもしれないと
幹事に提案し、岡本先生に連絡しました。

医師・・・診療の他に、前後のチームやエリア、医師会との調整あり
事務・・・救護記録やアセスメントシートの記載、車の運転、活動費の管理
薬剤師・・・在庫調整など業務は多い
看護師・・・保健師的な働きも必要。時には身内になり・・・

職種にこだわらず、事務処理能力のある人は貴重。
今回は塚田さんがおられたので、私はずいぶん楽でした。

おかやまチームの薬剤は撤収する予定です。
薬剤と医療消耗材はオーバーフロー
湊小学校の在庫と日赤のデリバリーシステムで対応できます。
あれば何かの時に便利と言い始めたらきりがない。
現地は使いきれない物品の山です。
一方、滅菌器具は不足している。

あると便利なもの
ネット環境
iPadは日赤で貸出もありますが、医療関係のアプリは何も入ってない。
ただ、現場でネット環境があるだけで便利
後続のチームや医師会に現場からどんどん連絡できますし、資料も送れます。
薬品検索ソフトもあるとそこそこ便利です。
現地の貸出用のiPadはソフトバンクが提供しているのか? 孫さんならやりそうですね

今日は夕方、帰り道に海沿いを走ってみました(石巻市民病院近辺)
予想していても言葉を失いました。

海辺の立派な市民病院が機能停止です。これが石巻の最大の敗着でしょうか
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日赤は最近、湊地区から移転していたので生き残ったとのこと。


仙台帰着が19時過ぎ
個人の準備物品は特別なもの(防災グッズ)は不要でした。
石巻は内陸部からどんどん復興しており、ほとんどのものは揃います。




江谷チームからの報告その1

5月12日に帰岡された国立療養所 長島愛生園の江谷先生から報告を頂きました

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活動期間:平成23年5月8日~12日    

<5月8日(日) 初日>

7:00岡山空港集合 7:30 ANA 羽田行き

【メンバー】
リーダー:江谷勉事務:塚田徹看護師:英仁満(国立療養所長島愛生園)薬剤師:黒川比呂子(県薬剤師会)

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空港で県医師会 松山理事と事務局 原さんに見送りと伝達を受ける。
県医師会長もおられた。

9:00 羽田から両備グループ(ハロートーキョー)のハイエースキャビンで出発。

途中の休憩を含め、スムーズに行程を進んで、石巻赤十字に15:00到着
仙台から石巻日赤までは意識しないと震災の影響を感じない。

石巻日赤の合同災害対策本部にて医療救護班の登録を行い、30分程度のオリエンテーションを受ける。
熊本日赤の医師と話した。本部に資料等は揃っている。

説明で印象に残ったのは、石巻地区での支援活動が日赤の事業ではないことを強調されたこと
他の組織の医療チームから不満が出たのだろうか。

あとは、被災者の自立を促す必要がでてきていること
過剰な医療サービスはせず、再開している現地の医療機関や調剤薬局の使用を推進してゆくため(元からあった医療より以上のことはしない)

16:00 エリア7 大規模避難所の湊小学校に到着(日赤から30分程度)

エリア7(旧北上川東)は海に近く津波による被害の大きかった地区です。
日赤付近は被害をあまり感じないが、海に近づくと様子が一変するのは今までのチームの報告と同じですが、
湊小学校は当初に比べ、かなり整備されてきています。

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すべて同じ時間で止まっています

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日和山から見た湊小学校です


石巻医療圏は被災地域では宮城県で最大で、14のエリアに分け、エリア・ライン制で運営されていました。
湊小学校はメディアに度々、取り上げられています。
岡山県医師会は継続してエリア7に入っています。
湊小学校は活動時で約230名ほどの被災者が生活していました。
近隣の2階族(壊れた家の2階に住んでいる人)がどれくらいいるかは不明
前任の川上医師と引き継ぎ。

エリア7の医療チームは
エリア幹事・・・・・・・・・・・・長崎日赤 山道(消化器内科)
おかやまJMAT・・・・・・・・江谷(耳鼻咽喉科・頭頸部外科)
多摩市医師会・・・・・・・・・佐藤(内科)
北多摩医師会・・・・・・・・・平松(婦人科、外科)

エリアミーティングとリーダーミーティング(30分程度)
こちらの装備と耳鼻咽喉科領域のニーズがないか広報で住民にお知らせすることを決定
歯科のチームが週3で入っているが、マイナー系の医師の支援が少ない。
活動予定場所は湊小学校を中心に巡回とSSB(ショートステイベース)の予定
実務的は質問や相談はエリアミーティング(湊小学校)でしたほうがよい。

この地域で近くの医療機関や薬局を利用できるのか確認したが、
被害の大きかった地区であり、現実的にはもよりの施設まで自転車で40分? 
ボランティアの送迎サービスはあるが現実的に受診を促して被災者の理解が得られるかといわれると疑問がある。

慎重な対応の必要性を感じました。

自立を促すために地元の施設を受診させるという意味はよく理解できるが、
受診者にどのようなニュアンスで説明すべきか質問したが明確な回答はなし。
同時に2階避難者(自宅)の掘り起こしの必要性も強調されていたが、自立との兼ね合いを考えると、
一見矛盾した対応にも感じられる。いずれ退去させないといけないだろうし・・・

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再び、日赤に移動

18:00~全体ミーティング

ここでも住民の自立の必要性が強調されていた。
貸出用のi Padが余っているとのこと(5月8日時点で17台)
私はWiFiルーター、ノートブックとiPadを持って行きました(医療ソフトや資料を入れて)

18:15 日赤発
仙台のホテルまで三陸道を使い、1時間20分程度

明朝の集合 6時15分
メンバーの携帯番号と携帯アドレスを交換
ホテルで何かあったときの集合場所の確認

臨床の仕事がたくさんあるわけではなさそうです。
仕事は探さないといけないかもしれませんが、探しすぎてもいけないか・・・微妙です。

長島愛生園は国家公務員のボランティア休暇制度を利用しました。
薬剤師の黒川さんは有給休暇を取られていました。

尾上チームからの報告その3

第5日目 5月3日(火) 晴れ

<7:10> ホテルロビー集合。
<7:20> ホテル発。シャトルバスで羽田空港へ。
空港内で朝食。

<8:50> 羽田発

<10:10> 岡山着
県医師会 川端氏に報告。

<10:30> 解散

【感想】

あっという間の5日間でした。
実際の医療活動は、正味3日間の午前、午後の診療を湊小学校の診療室で行うことでした。

震災、津波の被害が激しい地域のただ中のこの避難所で、早期の医療活動開始のため努力、
支援された人々の存在があればこそ、今回の我々の診療が行えたことに、
改めて感謝すると共に感動を覚えました。

震災直後から4月後半まで、我々が訪問するまでの各時期に、多方面の方々の努力により、
徐々に湊小学校および避難所を取り巻く環境が整い、さらに診療室となっている家庭科教室も、
大机と椅子だけのものが、上手にコンパートメントされ、狭いながらも四診体制がとれる状態になっていました。

常時、診療室があることは、避難されておられる方や、周囲の方々の安心に繫がっており、
その意味においても、JMAT岡山の一チームとして、
継続した、安定した医療体制の一翼を少しでも担えたのではと思っています。

当然すべてが初めてのことだらけで、不安だらけでしたが、4人のメンバーそれぞれが、
各持ち場において出来るだけのことをなし得て、一つのチームとして働けたと思います。

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お世話になりましたメンバーの皆さんありがとうございました。

避難所によっては、未だにライフラインが回復していない個所もあるとのことです。
現場は時々刻々変化しています。
その状況、現地の需要、ニーズに即した支援が、これからもまだまだ必要であろうと思います。

ただし、地元医療機関が徐々に再開されつつあるので、地域や診療科等に多少偏りがあるものの、
既存の医療機関への移行を考える時期が近いようです。

最後になりましたが、今回の活動に際して、ご支援頂きました県医師会の担当理事、事務局の方々、
薬剤師会をはじめ他の関係団体の方々、ハロー・トーキョーや航空関係の方々、
貴重な体験情報をネット等で教えてくださった前任の先生方、現地で診療をご一緒した鳥取県医師会、
多摩地区医師会、山田日赤、大分日赤の方々・・・

そして、我々を快く活動に送り出してくださった職場の方々に御礼を申し上げます。


尾上チームからの報告その2

第3日目 5月1日(日) 曇り一時小雨

<5:30> ロビー集合。
<5:50> ホテル発。途中、給油を行う。

<7:30> 湊小学校到着。

<8:50> エリアミーティング
<9:00~12:00> 午前診察
足関節痛、上口唇抜糸、眼痛、膝OA、腰痛2例 ・・・・・・・ 計6人
      
途中、隣の鳥取チームの縫合処置の際、持参の持針器貸出あり。

昼食は、診察室内で。

<14:00~16:00> 午後診察。
日赤処方箋 ・・・・・・・ 1名


<16:45> 湊小学校発。
<17:20> 日赤着。

<18:00~18:30> 全体ミーティング
        湊中学校の環境悪化が心配。ライフラインの回復も不十分。

<18:30~18:40> エリアミーティング(2階職員食堂にて)

<18:50> 日赤発。
       前日と同じルートを、小雨の中、仙台へ。

<20:00> ホテル着。
       宿舎近くで夕食。

【医療活動2日目】       
2日目であり、余裕をもって活動ができた。

************************************
       
第4日目 5月2日(月) 晴れ 風強し
<5:00> ロビー集合
<5:50> ホテル発。強風、横風のため抑え気味に走行。

<7:10> 湊小学校到着。
<8:40> エリアミーティング
地震、津波の際の避難ルート、3ルートが壁面の地図に提示さる。

<9:00~12:00> 午前診察
咽頭痛、大腿痛、腰痛、足刺創、膝OA 3例 ・・・・・・・・ 計7人


昼食は車内で。
昼休みを利用して、稲井小学校に向かう。

<12:40~13:00> 稲井小学校 訪問。子供達に玩具の差し入れ。

<14:00~16:00> 午後診察
歯痛、足痛、腰痛、口唇ヘルペス ・・・・・・・・ 計4人


<16:20> エリアミーティング

<16:45> 湊小学校発。

<17:15> 日赤着。

<17:15~17:55> 後任の江口チームに引き継ぎ。
江口チームのご配慮により、早めの出発ができました。
ありがとうございました。

<18:25> 石巻赤十字病院出発。
三陸自動車道、仙台北部道路を経由し、東北自動車道に入り、一路羽田へ。

<20:30~21:00> 国見SAで夕食。 
途中、給油のため1度トイレ休憩。

<24:37> 羽田着。



尾上チームからの報告その1

5月3日に帰岡の尾上チームから報告を頂きました
GW中の活動、お疲れさまでした

**********************************************
チーム構成:尾上仁一整形外科医師・香山里美看護師・井上都子介護職・横山裕人事務職

尾上チーム

活動期間:平成23年4月29日(金)~5月3日(火)

活動経過

第1日目  4月29日(金) 晴れ

<7:00> 岡山空港集合。
松山理事、事務局 原氏 より説明あり。ユニホーム配布。

<7:35> 岡山発

<8:45> 羽田着
ハロー・トーキョーの車両に乗車、県医師会からの荷物、コンテナ等を確認。
東北自動車道を北上するが、各所で渋滞。

<12:45~13:00> 都賀西方PA 昼食
<15:05~15:15> 那須高原SA 休憩

前任チーム遠部先生に、到着遅延の旨を連絡。

<17:00~17:15> 福島松川PA  休憩

<18:15> 仙台南より、仙台南部道路、東部道路、三陸自動車道をひた走り、石巻河南IC で下り

<19:20> 石巻赤十字病院到着。
到着後すぐに遠部チームと引き継ぎし、2階事務局で登録手続を行う。

<20:30> 引き継ぎ終了。
遠部チーム、ハロー・トーキョーの栗田氏、大川氏と夕食。

<22:25> 石巻発。
遠部チームの無事なる羽田到着を祈り、お別れする。

<23:25> 仙台R&Bホテル着

我々の遅い到着にもかかわらず, 遠部チームの皆さんとは、夕食をご一緒でき、
事務的な申し送りだけではなく、明日からの活動への不安を和らげ、
明るく乗り切れるエネルギーを頂き、本当に有意義な時間を過ごすことができました。
ありがとうございました。

ゴールデンウイーク渋滞恐るべし、です。
10時間に亘る運転、栗田、大川、両氏ご苦労様でした。

***************************************
第2日目 4月30日(土) 晴れ

<5:30> ロビー集合。コンビニにて朝食、昼食の購入。

<5:50> 仙台発。
カーナビに従い、仙台東ICから仙台東部道路、三陸自動車道に乗り、
石巻河南ICで一般道に下りた。

<7:00> 湊小学校到着。 校庭に駐車した車内で配布資料等の見直し、確認を行う。

<8:20> 2階家庭科教室の仮設診療所へ入室。 

<8:45> エリアミーティング。エリアリーダー三重県山田日赤のもと、岡山県医師会、鳥取県医師会、
多摩地区医師会(武蔵野市)4チームでの診察

<9:00~12:00> 午前診察
背部切創処置、足関節捻挫後疼痛、膝変形性関節症(OA)2例 ・・・・・・・・ 計4人


昼食は校庭に駐車の車内で。

湊小学校では4月25日から水洗トイレが使用可能となり、また手洗いもできるため、
昼間の石巻市内の交通渋滞を考慮して3日間とも小学校で済ませた。

<14:00~16:00> 午後診察。
前腕擦過創、全身痛の訴え、膝OA ・・・・・・・・ 計3人


<16:15 ~16:40> エリアミーティング

<17:40> 日赤着。

<18:00~18:20> 全体ミーティング    

薬剤リストを日赤ホームページに載せる予定。
耳鼻科医の巡回診療は、一部の地域で異論があり、地域限定で行われる見込み。

<18:30> 日赤発。
カーナビにしたがい往路と同じく、三陸自動車道、仙台東部道路を利用し
仙台東ICから一般道に下りる。

<20:10> ホテル着。
宿舎近くで夕食。

【医療活動1日目】 

メンバーそれぞれが、各部署の仕事を無事終え,ひとまず安堵。
医師、看護師は、診療室内での業務を行い、また事務職及び介護職のスタッフは、
廊下や待合で患者さんからの情報聴取と、自ら話されるお話への傾聴を行った。

メンバーの中で一番元気な事務スタッフは、空き時間を利用し、
喉や目の症状を訴える方が多くなっている避難所の廊下の清掃を行った。

遠部チームからの報告その5

【活動記録】
平成23年4月30日土曜日 <5日目> 羽田(晴れ):岡山(晴れ)
6:20 羽田JALホテル発  シャトルバスにて羽田空港
6:40 羽田空港着 搭乗手続き
7:50 羽田空港発
9:30 岡山空港着

ホテル到着後、約2時間弱の休憩の後、岡山への帰路についた。

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【JMATおかやまに参加して】

今回、初めてJMATおかやまを通じて災害支援に参加ささせていただきました。
今までにいかれた先生方に情報提供を頂き、準備して被災地に向かいました。

被災地に近づくにつれ、連日テレビ等で流れている映像を目の当たりにした時は驚くばかりで
言葉にはなりませんでした。
震災から1ヶ月半経過しており、道路も車で走行することに支障ない状況になっており、
営業している店舗もあり、町も人も復興に向け着実に一歩一歩進んでいることを間近に感じることができました。

また、震災後の避難所生活の中にある子供たちの屈託のない笑顔や、結婚記念日の写真に写る照れた御夫婦に、
逆に元気をもらったような気がして、人の力の偉大さを実感した5日間でした。

今後も微力かもしれませんが、何か東北の方々の為にできることを探して、
継続して協力していきたいと思います。

今回、共に第7エリアで診療にあたった、沖縄赤十字病院・三重山田赤十字病院をはじめ
北多摩医師会・鳥取県医師会のスタッフの方々、また岡山県医師会の方々にお礼を申し上げます。



遠部チームからの報告その4

【活動記録】
平成23年4月29日金曜日 <4日目> 仙台(晴れ):石巻(晴れ)

6:00 ホテル出発 三陸道
7:50 湊小学校着
8:45 エリアミーティング

9:00 午前診療開始
遠部医師 9名  男性7名 女性2名

12:00 午前診療終了

12:20 稲井小学校へ湊小学校発
移動 昼食

14:00 午後診療開始 稲井小学校(体育館)

遠部医師 5名  男性1名 女性4名

15時に一度湊小学校へ処方依頼に戻り、処方を届けに稲井小学校へ
16:00 午後診療終了
16:20 湊小学校着
16:40 エリアミーティング
16:50 エリアミーティング終了
17:15 湊小学校発
17:50 石巻赤十字着
18:00 全体ミーティング
19:30 尾上医師チーム到着 引き継ぎ
21:00 石巻赤十字発
食事  休憩
4:40 羽田JALホテル着

29日午後、被災後初めて本拠地での楽天イーグルスの中継が放送されていた。
診療先の稲井小学校・体育館でも避難生活されている方の為に設置されたテレビにて、
その模様を観戦されていた。

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また、湊小学校にて我々が活動中受診された、御夫婦が津波で身の回りの物を失ったが
4月29日が結婚記念日だということを偶然伺い、新たなスタートの第一歩となる結婚記念日の写真を
プレゼントさせていただいた。

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石巻赤十字にて後続チームに申し送りをおこない、

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深夜羽田に向け移動明け方4時40分頃ホテル到着



遠部チームからの報告その3

【活動記録】
平成23年4月28日木曜日 <3日目> 仙台(雨):石巻(雨のち晴れ)

6:00 R&Bホテル出発 一般道
8:35 湊小学校着
8:57 エリアミーティング
・北多摩医師会・鳥取医師会・岡山医師会・沖縄赤十字病院 の4チームで行う

9:15 午前診療開始
遠部医師 8名 男性2名 女性6名  
・花粉症、咳、痰等

12:00 午前診療終了 昼食

14:00 午後診療開始(湊小学校)
遠部医師 10名  鳥取医師会医師 1名 他3名受診 計14名 
・高血圧、処方が無くなった、腹痛等

16:00 午後診療終了
16:16 エリアミーティング(湊小学校)
16:30 エリアミーティング終了
16:45 湊小学校発
17:30 石巻赤十字着 業務日誌提出
17:45 石巻赤十字発 三陸道
20:00 ホテル着

----------------------
JMATおかやまの移動車両(ハイエース)内の備蓄物品に整理が必要。
医薬品・診療備品が飽和状態になっている。

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医薬品の在庫リストの整理、使用することないシリンジ・手袋等の診療備品をリストアップ整理

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午後からテレビ朝日「報道ステーション」の取材班にて、診療風景の取材あり。
同日夜間「報道ステーション」にて放送された。

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湊小学校では自衛隊による炊き出しも、一日一回だったものが一日二回になり、
お風呂も入浴可能な状況であった。


遠部チームからの報告その2

【活動記録】
平成23年4月27日水曜日 <2日目> 仙台(晴れ):石巻(晴れ)

6:00 ホテル出発 三陸自動車道

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8:30 湊小学校着 2階家庭科教室

8:57 エリアミーティング
  ・北多摩医師会・鳥取医師会・岡山医師会・沖縄赤十字病院  この4チームで行う

27日現在:湊小学校159名

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9:15 午前診療開始

遠部医師診療 5名
・風邪症状、喉の痛み、口内炎、背部痛等

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12:00 午前診療終了
昼食 午後診療地(石巻市民会館)へ移動

14:00 午後診療開始(石巻市民会館)
避難生活者:17名 大人昼間不在 子供達のみ

遠部医師診療 2名
・中3女子 風邪症状にて処方
・中1女子 風邪症状にて処方
・定期処方希望

15:00 午後診療終了
15:35 湊小学校へ戻り、処方を依頼
15:50 石巻市民会館へ処方届ける
16:00 石巻市民会館発 石巻赤十字病院へ
16:45 石巻赤十字病院着
16:55 業務日誌等各書類提出
18:00 全体ミーティング
18:20 エリアミーティング
18:40 石巻赤十字病院発 一般道
20:40 ホテル着

-----------------
沖縄赤十字チームがエリア幹事。第7エリアの中心となって活動。

午前は全チームにて湊小学校・家庭科教室にて診療。風邪症状・口内炎等慢性的疾患が多い
急性期疾患・外傷等での受診なし。
処方に関しては、持ち込みの薬剤の使用はしない。湊小学校に備蓄されている医薬品を使用。
湊小学校内に薬剤師常駐しており、短期調剤は薬剤師に依頼。

長期定期処方は、専用の書式にて石巻赤十字メロンパン号に処方依頼。
午後は、石巻市民会館巡回診療。市民会館内には避難生活者不在。
隣接の施設2階にて生活を送られている。

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昼間はガレキ撤去・仕事等で成人は不在が多い様子。

インターネットによる支援活動もあり、抽選でおもちゃ等の配布も行われていた

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遠部チーム(金田病院)からの報告

JMATおかやま 遠部チーム(金田病院)からの報告です

**************************************************
【チーム構成】
医 師:遠部 英昭
看護師:小山 敏子
看護師:勢村 陽香
臨床工学技士:大嶋 勝

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【活動期間】
平成23年4月26日から4月30日

【活動場所】
宮城県石巻市
活動拠点:石巻赤十字病院
活動エリア:第7エリア 湊小学校及び周辺避難所

**************************************************
【活動記録】
平成23年4月26日火曜日 <1日目> 岡山(晴れ):羽田(晴れ):仙台(曇り):石巻(曇り)
7:00 岡山空港(ANA国内線前集合)

7:35 岡山空港発

8:50 羽田空港着

9:00 両備グループ(ハロートウキョウ)グランドハイエース

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   羽田空港発
↓ 
11:30 上河内サービスエリア着 昼食休憩
  
↓  安達太良サービスエリア着 休憩
   蔵王パーキングエリア 休憩
15:30 石巻赤十字病院着
   2階研修室 災害救護本部事務手続き 赤十字医師による説明

17:00 大河チーム(榊原病院)からの引き継ぎ

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18:00 全体ミーティング エリアミーティング(第7エリア)

18:30 大河チーム(榊原病院)からの引き継ぎの続き

19:35 石巻赤十字病院発 一般道で宿泊地(仙台)へ ↓
21:00 ホテル到着 チェックイン

--------------
岡山から宮城へ移動は比較的スムーズであった。

震災状況を実際に目にした時は、ただ驚きの一言でした。
石巻赤十字病院にて先発の大河チームより申し送りを受け事務手続きを行い、全体ミーティングに参加。

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石巻より宿泊地仙台市内へ一般道を利用し移動。
仙台市内は、普段の生活を取り戻しコンビニ・飲食店も通常営業状態。



大河チームからの報告その5

第5日目;平成23年4月27日(水) 宮城(くもり)、岡山(くもり)

6:40  宿泊施設発シャトルバスにて羽田空港へ
7:50  羽田空港発、岡山空港便にて移動
9:10  岡山空港着
10:00  JMATおかやま 大河チーム解散

【JMATによる活動を終えて】
震災以降、テレビ・新聞などを通じ、東北の状況が毎日のように報道されています。
しかし、現地では画面や写真で伝わることのできない被害の大きさを肌で感じるとともに
東北の方々の忍耐強さ、心の強さに尊敬の念を抱きました。

またこういった状況だからこそ見えてくる人と人とのつながり、助け合う心が被災地にはありました。

我々、医療従事者1人1人が被災者の方々の力になることは微々たるものですが、
刻々と変化する被災地の現状・ニーズに対応した医療活動を今後も継続することで
やがては大きな力になるものだと信じております。

岡山に戻ったいま、被災地のためにできることは間接的になってしまいますが、
あの現場を経験した者として医療面に限らずどんな形であれ今後の復興に協力していきたいと思っております。

最後になりますが、今回の活動にご一緒させて頂いた大河啓介医師、藤原伸行看護師、
エリア7にてご協力頂いた長崎原爆病院、鳥取県医師会、北多摩医師会の方々に御礼を申し上げます。


11-エリア7のメンバーとともに
・エリア7のメンバーとともに


大河チームからの報告その4

第4日目;平成23年4月26日(火) 宮城(くもり)

6:00  宿泊施設発
    (一般道使用)交通量多い。渋滞。

8:45  石巻市立湊小学校着
9:00  エリアミーティング
9:20  午前診療開始(湊小学校)
12:00  診療終了

14:00  午後診療開始(稲井小学校)
16:00  午後診療終了

17:00  遠部チーム(後任)との引き継ぎ①
10-遠部チーム大河チーム
・遠部チーム、大河チーム

18:00  全体ミーティング
18:30  エリアミーティング
19:00  遠部チーム(後任)との引き継ぎ②
19:30  ハロートーキョーのハイヤーにて石巻日赤病院発、羽田空港近辺の宿泊施設へ
27:30  宿泊施設着

【午前;湊小学校(3チーム合同)、午後;稲井小学校(岡山医師会単独)】

湊小学校では前回と同様に他のチームと合同で診療にあたった。
受診者数も落ち着いており、時間的余裕もあったため、診察室内での診療の他、
岡山チームが湊小学校内の各部屋を巡回した。

特に定期内服薬で抗凝固薬ワルファリンの含まれている患者さん(リストあり)に関しては
栄養状態、生活環境の変化に伴い血液凝固能の変動が予想されるため、
最近の凝固能チェックの頻度、皮下出血など副作用の発現、服薬コンプライアンスなどを確認した。

稲井小学校では体育館内に30名程度が生活されている。
9-稲井小学校 体育館内
・稲井小学校 体育館内

当日は雨も降らず、平日の午後であったためほとんどの方々が自宅の片づけ、仕事などに出かけられていた。

診察希望は1名。喘息に加え、関節痛を持病としてもち慢性的な痛みの訴え。
専門機関を受診する必要あるが、交通手段が限られており難しいとのこと。
対処療法的に、持ち合わせていた医薬品を処方、エリアリーダーを通じ専門医による往診を依頼。

稲井小学校には4/28に他の施設に避難されていた方々が30名程度移動されてこられるということで、
今後の生活環境・衛生の悪化が懸念される。


大河チームからの報告その3

第3日目;平成23年4月25日(月) 宮城(午前;雨 午後;晴れ)

6:20  宿泊施設発
    (一般道使用)交通量多い。渋滞。
9:20  石巻市立湊小学校着

9:25  湊小学校発
9:35  蟻坂セミナーハウス着
9:45  午前診療開始(蟻坂セミナーハウス)
12:30  診療終了
14:00  午後診療開始(稲井公民館)
8-稲井公民館での診察
・稲井公民館での診察

16:20  診療終了
18:00  全体ミーティング
18:20  エリアミーティング
19:30  石巻日赤病院発(一般道)
21:00  宿泊施設着

平日の移動。一般道、高速ともに交通量多く、渋滞。
9:00のエリアミーティング間に合わず、エリアリーダーより巡回先の指示をうける。

【午前;蟻坂セミナーハウス(岡山医師会単独)、午後;稲井公民館(鳥取医師会と合同)】

蟻坂セミナーハウスは避難所ではないが、巡回診療の旨を告知し診療の必要な近隣住民を集めている。
感冒症状の訴え、慢性的なストレス状態によるものか血圧が上昇している患者さんなどが受診。
また破損した自宅の片づけ中に負傷し、破傷風疑いの方もおられ、早急に日赤病院を受診して頂くこととなった。
5名受診。

稲井公民館は鳥取県医師会チームと合同で。医師3名体制で診療を行った。
稲井公民館内では70名程度がいまだ生活をされている。
定期処方依頼の患者さん、避難所生活が長引くことに伴う不眠・便秘・腰痛などの他、
空気循環が悪いせいか咳などの呼吸器症状の訴えも多い。20名程度の受診有り。



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